共依存


元々は、アルコール依存症患者と、その人に依存せざるを得ずその結果自分の人生も台無しにしてしまっている家族等との関係を表す相互依存の関係から出てきた言葉。
共依存にある状況では、依存症の患者がパートナーに依存し、またパートナーも患者のケアに依存するため、その関係が持続する事が多い。典型例としては、アルコール依存の夫は妻に多くの迷惑をかけるが、同時に妻は夫の飲酒問題の尻拭いに自分の価値を見出しているような状態である。このような共依存者は一見「献身的・自己犠牲的」に見えるが、実際には患者を回復させるような活動を拒み、結果として患者が自立する機会を阻害しているという場合が多い。

重度訪問介護の現場でも、利用者とヘルパーが互いに依存し合う「共依存」という現象が稀に起こる。
共依存は介護のどの現場でも起こりやすい現象であるが、重度訪問介護の現場においては、共依存になりやすい条件が他の介護現場よりも多く、また、共依存になったことによる利用者への影響も大きいため、特に注意が必要である。

そもそも介護の仕事をしている方は少なからず「人の役に立ちたい」というホスピタリティの気持ちを持っている。支援に入る利用者の要介護度合いや障害の状態が重ければ重い程、「何とかお役に立ちたい、何でもして差し上げたい」という気持ちが強くなる傾向がある。
翻って、支援を受ける利用者側から見ると、上記のような気持ちを持ち、自分がやってほしいことを何一つ嫌な顔をせず、何でもやってくれるヘルパーを当然ありがたいと思う。
介護を「仕事」と割り切って出来ること、出来ないことを説いてくるヘルパーよりも、自分の気持ちにどこまでも寄り添ってくれ、何でも嫌な顔をせずにやってくれるヘルパーを好む。つまり、ホスピタリティの気持ちが強いヘルパーを好むし、逆にそのヘルパーのホスピタリティの気持ちを助長するような演技をしてしまう事象さえ見受けられる。

重度訪問介護は「重度」の障害をお持ちの方が支援対象であり、また支援時間も10時間前後とかなりの長時間になる。基本的に利用者と1対1の状態であり、ヘルパーにとっては施設等のように目の前のことを逐一相談できる同僚がその場にいる訳でもない。
一方で、介護未経験者も多く、介護においてやっていいこと、やってはいけないこと、注意点などを経験的に心得ていないヘルパーも多い。つまり、障害者総合支援法の趣旨でもあるが、「総合的に」≒「何でもやってよい」ということで、どこまでも自分のホスピタリティマインドに従い、求められたことをしてしまうヘルパーが多い。
このような利用者とヘルパーの精神構造がぴったりと噛み合った時、「共依存」という現象が起きやすい。

では「共依存」状態になった時、どのような事態が起こるか。
利用者側としては何でもしてくれるヘルパーを極端に好むようになり、そのヘルパーを何とかして独占したいと考えるようになる。そのヘルパーにより多く支援に入ってもらうように事業所側に要請し、そのヘルパー以外のヘルパーを排除していくような行動を取るようになる。
一方、利用者から特別扱いで気に入られたヘルパーは、少なからず他のヘルパーよりも優越感を感じ、また、自分を必要としてくれている利用者への情も増長し、より一層求められることを実施し、期待に応えようとしてしまう。
利用者からのNGも多い重度訪問介護の仕事において自分だけが求められるという事態は正直言ってヘルパー冥利に尽き、嬉しいものである。

この状態を放置すると、最終的には利用者とそのお気に入りのヘルパーのみの状況になってしまい、他にその利用者の支援に入れるヘルパーがいなくなってしまう事態となる。
一方、そのお気に入りのヘルパーに「自分の人生も全て捧げ、一生その利用者の支援を続けられるか?」と問うと、そこまでの責任は持てないという場合が多い。

重度訪問介護の利用者の在宅生活は相談員、ケアマネ、在宅医、複数の訪問看護、複数の訪問介護事業所・重度訪問介護事業所、ご家族等様々な関係者が連携を図って支え、それにより初めて安心を提供できるものであり、それらの連携を壊してしまっては在宅生活の継続を脅かす結果になってしまう。
そのような事態を招いてしまったヘルパーも結果的に自分の行動によって利用者の生活を脅かしてしまった事実に後味の悪い思いしか残らなくなってしまう。

重度訪問介護現場における「共依存」は一見美しく見えるが、結果的には全ての多くの関係者が不幸になるので、注意が必要である。