この言葉を自分に向けてみる時、避けて通れないのが
「そもそも、おまえ「志」って持ってたっけ?」って話。
自分の人生が、他でもなく自分の意志とは無関係に始まったこと、
生まれた日付はもちろん、時代や環境、才能から名前まで。
生まれ持ったstampは変えようがないけれど
そんな中で自分はいったい何者なのか?
人生という最大の不確実性をチャンスと捉え
前に向かって生きると決めた時に
内なる自分に初めて問うもの。
それが「志」ではないだろうか(と、暮れゆく西の空を見つめながら(しかもやや眉をひそめながら)考えみた)
会社員なら、その会社を「辞めない」ことが初志貫徹か?
「やると決めたこと」を「絶対続ける、やめない」ことが初志貫徹?
親の代から受け継いだ老舗の味を守ろうと、門外不出非公開のレシピを頑固に守り抜くことが初志貫徹なのか??
課せられた締切と文字数を稼ぐために書き出しているのではないけど(笑)
なんだかね、しっくりこない。
結局自分の限られた知識や経験、思い込みを貫いてみたところで
それが「初志」だとなんだと言ってみたところで、
自己満足に過ぎないんじゃないかな?とも。
そもそも、その「目的」はなんだったのか??
志とは、「誰かの責任にすることなく自分が(自分以外の)第三者に対してする約束、使命感」ではないかと勝手に理解している(辞書の定義や他の方の解釈は存じ上げませんが)。
何やら一度固めたら二度と崩してはならない、そんなお堅いイメージがするんだけど。
世に認められたロングセラー商品。同じ味を変わらず受け継いでいくことも大切だけど
時代を超えて求められる商品であり続けるために改良を加え続ける老舗メーカーのように。
変わらないものを守るために変わり続ける、挑戦し続けることがもっと大事なんじゃないかなと。
目的地に向かう向かい方が無限にあるように
ある意味その目的を果たす手段は無限にあろう。
自分を貫く、その覚悟と決心の先に見ようとしている「目的」はなんだろう?
何のためにそれを「自分」が行うんだろう?
人生の「初志」、「原点」から見つめた景色はすごい大切で忘れてはいけないんだけど、生きているから。もっと楽しく、もっと自分らしく。
「初」は必ずしも自分に取って「Ver.1」でなくとも良く、一番自分が噛みあうギアなんじゃないかしら?
「初志」と題した自分のGoogleメールに下書き保存し、都度更新しながら考えてみる。
結婚したら、相手が一番なんだ、と思い込んで他の誰も見ない努力をするというより
実際にそう感じられる決心と努力が必要なんだろうね。
人は考えで生きているものだけど過去の判断は変えられないから。
ま、やっぱり、誰に対しても、もちろん自分自身に対しても「言い訳しない生き方」を貫けたらいいなぁ(笑)