しなやかに生きる

菅野 真由美


「しなやか」とは、弾力にとんでよくしなうさま。英語では「フレキシブル」と訳されるそうだ。

とらえ方は人それぞれだと思うが、私は自分の価値観を大事にしつつ周りの変化に柔軟に対応していくことと考えている。

生きていれば当たり前だが、本当に日々色々なことがある。
仕事では予想外の出来事や突発的な対応も多く、失敗も沢山あった。
反省はとても多かったが後悔はしないようにしてきた。
後悔しても時間は戻らない。
だったらこの反省は学びに変えていくだけ。
そう思い前に進んできた。

2年前に長女が社会人となり家を出ていった。
その長女がまだ高校生の時に言われたことがある。
「臓器提供カードに記入してもいいか?」と。
いわゆる脳死判定を受けたときに臓器提供をする意志を示すものだ。
年老いた親にも万が一の時に延命処置を望むかの確認は健康な時にしか聞けない。
娘も健康な状態のいまだから親の私にその意志を伝えたのだと思う。
正直動揺しかなかった。
まだその肉体は親の範疇にあると勝手に思っていて娘がその考えに至った成長を素直に喜べない自分がいた。
即答はできなかったが時間を経てその娘の意志を尊重しようと思った。

今年の春、次女が大学生となり家を出た。
とうとう私は独りになった。
独りという自由を再び手に入れたはずなのに空虚感しかなかった。
家の中の静けさ、部屋の温度すら低くなった気がした。
体の一部がなくなったかのような感覚すらあった。
ここを目指して育ててきたはずなのに。
あんなに過程は大変なこともあったのに。
ゴールにたどり着くとこんなにも寂しいものかと思い知らされた。

娘が家を出てから気づいたこと。
一緒にいたときには気づかなかったこと。
多くのことに気づかされた。
当たり前の存在の大きさに。
私が支えられていたんだなと。

幸いにも犬のピースが寄り添ってくれた。
黙っているけどいつも一緒にいてくれた。
座れば膝にのり、眠りの時間になれば布団に入ってきた。
ぬくもりをくれた。
帰宅して昼間の治まらない感情を吐き出していると目の前で私を見つめ聞いてくれた。
感謝しかない。

そんなピースも老犬だった。
秋からごはんを食べなくなり11月からは介護生活になった。
12月に入り、急ぎかけつけた次女の帰宅の翌日に旅立った。
15歳だった。

私がどう立ち直ったのかはあまり覚えていない。
もしかしたらまだ立ち直ってないのかもしれない。
ただ、失った悲しみは大きいけれど後悔はしていない。
一緒に過ごした時間はとても充実したものだったから。
感謝しかない。

しなやかに生きられてるだろうか。

とかく感情に蓋をして生きていかなければならない世の中で、あえて私は喜怒哀楽の感情を大切にしたうえで変化に対し柔軟的でいたい。
今ある当たり前に感謝しつつ、辛いことや困難があったとしてもそれを糧に成長していきたいと思う。
そのためにはこれからも常に過程を楽しみたいと思う。

皆様にとって実りある一年となりますように。
今年もよろしくお願いします。

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