第25回 ルールより上位にあるもの ~私たちを覆う“空気”とは~
映える(ばえる)、エモい、推し・・・これらの言葉もすでに流行の最先端ではないのかもしれないが、なんとなくしか意味が分からず恐ろしくて使えない若者言葉が増えてきた。その一部は新語として世の中に残るゆえ、興味がないといって無視したくはない。だが、ある言葉の意味が多少把握できてきたころにはもう使われなくなっているというのだから、若者言葉のサイクルの速さには舌を巻くばかりである。
KY(空気読めない)という言葉も、若者言葉から世に広まったもののひとつだ。表立って使われることはなくなったが、聞いたことがある人は多いだろう。この言葉の世間への浸透は、若者のコミュニティに限らず日本社会において空気を読むことが必要とされていることのあらわれのように思える。
そもそも、空気を読むとはどんなことを指すのだろうか。言葉で正確に表現するのは難しいが、「その場の雰囲気を察して、周囲の人の考えを推し量りそれに沿った言動をすること」といったところだろう。相手の心情をおもんばかることで不要な衝突を避け、場の雰囲気を穏やかに保ち周囲との軋轢を避ける、実に日本人らしいと感じる言動だ。では、私たちは空気を読むことによって何を保ち、得ているのだろうか。また、失っているものはないのだろうか。
私は個人での仕事の他に、団体に所属して医療や介護を皆で考え、つくっていく活動をしている。このコラムにおける”強い”書きぶりからは想像できないかもしれないが、団体の中での私は「自分から敵をつくるようなことはしないソフトな人当たり」と評されることが多い。そんな私も、団体の活動に関してどうしても納得できないことがあり、仲間とぶつかったことがあった。
人と衝突するというのは、しんどい出来事である。しかし、このことを通して私は、良し悪しではなく衝突した仲間の考え方や価値観の一部を知り、その仲間のことをより深く理解できたと感じている。加えて、同じ団体の仲間であってもそれぞれの考え方があり、賛同できる部分は積極的に協力し、そうでないところは話し合って落とし所を探るという大人のプロセスを学ぶことができた。
社会人として働く方には当たり前のことだろうが、私にとっては貴重な経験となった。もし私が普段通りのソフトな人当たりを発揮し自身の意見を飲み込んでいたら、仲間との衝突は避けられただろうが、モヤモヤとした不満が残ったうえに、新たな学びは得られなかっただろう。
また、このコラムで何度か書いてきたが、30年あまり前に両親と私は普通小学校への入学を希望した。障害のある子どもは養護学校に通うものだと多くの人が考えていた当時としては、究極的にKYな選択をしたのである。当然、リスクも大きかったはずだ。どんな交渉をしても学校側に受け入れてもらえない可能性も、私が環境についていけずドロップアウトしてしまうおそれもあった。
障害児が7、8人程度集まる通園科と、障害のない子どもが30人あまり集まる学校のクラスでは、環境が大きく異なるからだ。それでも、この選択のおかげで私は様々な経験を積むことができ、私の世界は大きく広がった。今の仲間達と出会い、社会の中で役割を担うことにつながったと信じている。
両親はあえて空気を読まずリスクを引き受け。険しくとも後悔のない道を選んだのである。その決断の裏には
「拓君は養護学校ではなく、もっと広い世界を目指した方がいいよ」
という、当時主治医だった児玉和夫先生のあたたかい言葉があったことも忘れられない。写真は、その児玉先生との1枚である。
もし、両親が世間の空気を読んで違う選択をしていたら、私の人生は全く違うものになっていただろう。そして、後になってから「うちの子は仕方なく養護学校に通った。普通学校に通えていればもっと力をつけて活躍できたはずだった」などと主張しても、誰からも相手にされないことは火を見るより明らかだ。
このように、空気を読むことはその場の雰囲気を穏やかに保ち、周囲との衝突を避けることにつながる。当面の風当たりは弱まるが、それによって保たれた平穏は表面的なものでしかないのだ。周囲の人とより深い関係を築きたいのなら、時に空気を読まずに自分の意見を述べ、ぶつかり合うことも必要なのである。
また、空気を読むということは自身の選択を多数派と感じられる他者の意見に委ねてしまうということでもある。そして、その結果が好ましくないものであったとき、「まわりの空気に従わざるを得なかった、自分は悪くない、周囲の人や組織、社会のせいだ」という他責思考に逃げ込む余地を生み出している側面はないだろうか。
官公庁や企業など各種の組織において繰り返される不祥事の根底にも、このような空気を読むことによる負の側面が関係しているように思えてならない。
周囲との不要な衝突を避け、人間関係を潤滑にすることはもちろん大切だ。周囲の目を意識することで、ある程度自身の言動を律することもできる。
しかし、私の両親が示してくれたように、空気を読んでいるだけでは掴むことができないものもある。何を大切にし、目指して生きるのかは、私たち一人ひとりが考えて選ばなければならない。
自身の選択の結果が好ましくないものであっても、「空気を読んだから」と言い訳してはいけないのだ。私自身、生まれつきの障害ゆえに選択肢が少ない場面は多かったし、自分の意見を飲み込んだことなど数えきれないほどある。それでも、進学や就職などの大きな選択の際には自身の意思で決断することができてきたと思う。
だからこそ、良い結果も悪い結果も受け入れて次に進むことができたのだ。これからも多くの困難があり、難しい選択を迫られることもあるだろう。それならば、自分で選んだ道のほうが歩んでいく勇気が湧いてくるというものだ。
今よりも多くの人が自身の意思で何かを選び、挑戦できる環境であってほしいし、できる限りそれを支える組織、社会であってほしい。自分で選んだ道を自分の足で歩んでこその人生なのだから。
加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。