利用者・加藤拓の経験”知”

加藤 拓


第36回 多様性再考(後編) ~多様性という言葉が私の胸に響かない理由~

この季節には参考書やノートに目を通しながら歩く中高生を、よく見かける。受験生か、あるいは次年度の受験に向けて動き出した生徒たちだろう。今の私に言わせれば、学校の試験は社会に出た時のプロジェクトの練習であり、受験はその集大成のようなものだ。一定の期間に準備を進めて本番を迎え、評価を受けて改善しながら次の課題に取り組む。このサイクルを繰り返すのは、学生も社会人も同じだ。ただ、あくまでも受験はまだ練習なのである。老婆心ながら、受験の先にどんな自分になりたいかをイメージしている人はどれだけいるだろうかと、心配している。自分がどうありたいのかという軸をつくることは、容易ではないからだ。自分が中高生の時をふりかえると、受験のモチベーションは「みんながやるから」だった。とりあえず、という消極的なニュアンスではなく、私にとっては「みんなと同じであること」が最も大切なことだったのだ。

生まれつきの障害を抱える私は、子どもの頃から周囲と“違う”存在として生きてきた。人との出会いに恵まれ、学力の面では周囲と同等以上に渡り合えたおかげで、今でいう「生きづらさ」のようなものはあまり感じなかった。ただ、だからこそみんながやっていることが、身体的な理由で自分だけできないのは嫌だったのである。子どもの頃は学校行事や進学に関することだけだったが、年齢を重ねるにつれてその思いは広がっていった。

“普通の人”がしていることを、私もしたい

社会の中で役割を果たし収入を得て、愛する人と自分の家族をつくることが、私の目指す生き方となっていったのである。身体的なハンデを抱えた私が社会で勝負するために、学生時代の私のエネルギーは自然と学業に注がれた。一夜漬けができない私は、コツコツと予習復習を積み重ねるタイプだった。そして20代半ばで社会に出てからは、少しでも多く人前で話す機会をもらえるよう努力すると同時に、地域の行事やボランティア活動にも参加した。派手なことはできなかったが、大きな車椅子に乗った加藤という男が地域のために色々なことをしているのだと、少しずつ認知されてきたように思う。30代になると、2つの所属団体ではチームで動くことを学び、遠方への”出張”を経験させてもらった。そして40代になった今、定期的な仕事が増えてある程度の収入を得て、初めての昇給なるものも経験した。自分の働きが評価された喜びとより大きな責任を感じ、働くということの意味をより深く味わった瞬間だった。今月、東京で大雪になった翌日にも、路面の状態を確認したうえで休むことなく介護研修に出講した。事業所側からは電動車椅子で移動する私にご心配をいただいたが、他の講師の方が出講されているのに自分だけ雪を理由に休むなどということは、私の矜持が許さなかったのだ。少しずつではあるが、行動においてもメンタリティにおいても成長し、私が思う”普通の人”に近づいているのかもしれない。

その一方で、私が“普通の人”に近づくために欠かせないもう一つの夢には、なかなか手が届かない。愛する女性と自分の家族をつくりたいという思いばかり募るが、恥ずかしながら女性とお付き合いすらしたことがない。街行くカップルや子連れの夫婦を見かけると、言葉にするのも憚られるようなどす黒い感情が湧き、そんな自分が嫌になる。それでも、私がこの思いを手放して夢を諦めてしまえば、今までの努力の価値は半減してしまう。いくら昭和の価値観だと言われようと、社会の中できちんと役割を得てかつ、結婚して家族を持ってこそ一人前の男だと思うからだ。

また、自分の家族をつくることへのこだわりには別の理由もある。父の墓は永代供養のもので、我が家から歩いて5分ほどの寺にある。そこには、父と母に加えて私のスペースまで用意されているのだ。おそらく母は、私がこのまま“ひとり”で人生を終えると踏んで、無縁仏にならぬよう、あらかじめ墓を用意したのだろう。私が母の立場であっても、同じことを考えるに違いない。しかし、もし私に障害がなければ母はそんなことはしなかっただろうし、永代供養ではない一般的な墓を用意しただろう。つまるところ、母は、私が“ふたり”や“さんにん以上”になることを想定も期待もしていないということだ。さらに言えば、もし私がこのまま両親と3人の墓に納まったら、「一生親に守られて暮らした男」という形で残ってしまうことになる。障害のせいで家族の選択の幅を狭めたうえに、夢に手が届かないままになってしまう。私にとってこれほど悔しいことはない。子どもを作ることは現実的には難しくても、せめて両親の墓の隣に私と妻の墓をつくりたい。それで初めて、私の夢は完全なものとなるのだ。 今さら障害を持って生まれたことを嘆くつもりはない。ただ、私の人生がマイナスからのスタートだったことは事実だろう。周囲のサポートと自分の努力でその差を埋め、なんとか“みんな”に追いつき、同じになろうとしてきた。その思いは、世間で謳われる多様性の尊重とは異なるベクトルだろう。それゆえに、私の心には多様性という言葉があまり響かないのだ。「ありのままでいい」というフレーズは、私にとっては「努力しなくていい、サボってもいい」に聞こえてしまう。これは理屈ではなく、私のこれまでの歩みがそうさせるに違いない。

ある時、付き合いの長いヘルパーから

加藤さんの言う“みんな”や“普通の人”は世間一般の人という意味ではなくて、自分の中の理想の人なのでは?

と言われた時は痺れた。きっとそうなのだ。私の理想は、やはり障害のない人のように生きることだ。”普通の人”への憧れは私の活力であり、どんな美辞麗句を並べても消えることはない。多様性の尊重が重要視されるこの時代に、あえてみんなと同じになろうともがく人間もいるのだ。そして、それもまた多様な考え方の1つとしてご理解いただければ何よりである。

加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。

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