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感情論は悪か

感情論は悪か

間傳介



「それは感情論だ!」「あの人は感情的になるから議論に向かない」など、皆さんも日頃家庭で職場でまたはネット上で、よく目にし聞くことかと思います。
例えば大声で「こうだからこう!他に選択肢はないの!」と言うように怒鳴る人がいた場合、話し合いが一気に冷め、「はいじゃもうそれでいいです」と言う風に多くの人が不納得の表情と後味の悪さを覚えながら会議が閉幕、なんとなーくまあまあの結論めいたもが動き出して行く…

誰かの感情論をきっかけに誰も望んでない結果を生むということもよくあることです。

感情論は、とかく非難されがちです。冷静な思考でない、傍若無人な振る舞いとでも言いましょうか、確かに感情で頭がいっぱいになり、それを表現する言葉が見当たらない時、感情をぶつけることを選ぶのでしょうか。
それとも、相手の無理解に対しての憤りでしょうか。
おそらくこの文章をここまで読んで、あなたを以前感情論でねじ伏せた人の顔が浮かんだという方、また、私は感情論で押し切りがちだと自分を反省する方は以下を読む価値があると思います。

これまでの皆さんの人生において、感情を一切排した行動というものがあり得たでしょうか。読者の皆さんに私はお会いしたことがありませんが、私はこう断言します。
全ての人間は、感情抜きの会話などできません。

人間は自分の生きてきた間受けた感覚刺激の記憶の総和を快・不快(感情)で判断し、快に近付くべくそれらを正当化しようとします。その過程ではそれらを含む自己に必然性を見出そうとします。そこで面白いのは、過去自分が受けた抑圧をも正当化しようとします。
(例:あの時怒られたことが今私の身になっている)

そういうことを言うと「私は違う!」と怒る方もありますがすでに感情が動いていることからも分かる通り、自己の内外関わらず、全ての事柄について、まず初めに動くのはあなたの「感情」に他なりません。

さて、表題に「感情論は悪か」とあるが、悪なのかそうでないのか、私は回答したでしょうか。ここで私がもし、感情論が「悪だ」としたとして、その言葉をあなたが待っていた場合、それがあなたにとってそうみなす他人(この場合は私)がいることが「都合が良い」のです。

人間の会話、コミュニケーションの中にある感情は、
・相手との仲間関係の確認(仲間関係外の対象を非難することも含む)
・自己または自分を含む集団の利益拡充・交渉(不利益及び危険を生じる他者の行動の抑制)
・自分の所属集団の外にいるものに対してのの懐柔

最後、最深部にある
・自己保存の許可、是認の要求(性欲、つまり種(自己の遺伝子)の保存と永続の欲求)

です。

これを読んで「動物的だな」と思う方は勘がいいと思います。
人間は間違いなく動物です。

それを認めることからしか始まりません。
人間の脳内には進化の過程で通過した全ての生き物の思考方が残っています。

世阿弥は「初心忘るべからず」と言います(過去形でない?当たり前です。言葉は死にません)が、これは「熟達者が熟達者の舞を舞えるのは当たり前で、初心者の頃のぎこちない動きも、芸として引き出しとして出せるように持っておけ」と言う意味であり、決して熟達するなとか、いつもうぶであれと言うような意味ではありません。

万物の霊長と誇ろうとも、微生物時代に魚類時代に、両生類、哺乳類、原始人…時代時代に培った感覚も時には顔を出して動いてみると良いでしょう。私たち人間の脳は、実際古い生物の神経系に足される形で発達しています。足される形ということは、古い感覚もまだ私たちに残って活動しているということです。

感情論に出会った時、心の中で少し間をもって、相手は、自分はどんな感情で動いているか、よくよくみてみることが肝要です。
感情論がいやだという時、「私は我慢しているのにあの人だけ感情をあんなに出してずるい!」というあなたの感情はありませんか?自分を見つめて視野を広げるのは苦しいですが、慣れてくるものです。ストレッチを続けると体が柔らかくなるのと変わらないことです。

感情は起こるもの。それを理由づけするのが、巷にあふれる「正しさ」です。探せばいくらでもありますが、その「正しさ」を自分本意のものにするのか、他人も自分も生かすものにするのかより大きなものに向かおうとする時、「品」が生まれ、「ユーモア(人間的である)」が生まれます。




間傳介 プロフィール

1981年、鹿児島県産まれ。
宇都宮大学教育学部国語科教育八年満期退学
「東京に行け」との高校の恩師の言葉を独自解釈し北関東に進学。
修辞学、哲学、文学、芸術、音楽、サブカルチャー等乱学。
効率、生産性ばかり喧伝する文化の痩せた世の中になった2008年ごろ、気づいた頃には相対的に無頼派となっており、覚悟し流れ流れて福祉業界に。
知的障害者支援、重度訪問介護、などに従事。
「能(よ)く生きる」ことを追求している。
友愛学園成人部職場会会長