土屋人日記 ~テレワークの中で~

菅野真由美



新型コロナの騒動で世の中が大変なことになっている。

4月から社会人になった長女はまだ1回も出勤できていないし、高校生の次女も学校の再開がどんどん伸びていく。

当然のことながら私を含めたスタッフもテレワークが基本となった。

我が家に以前からあったwifiは去年壊れて新品に買い替えてあり、そういう意味では良い時期に壊れてくれてよかった。
そのwifiは今やフル活動。
毎日家族全員が何かしらのオンライン生活だ。

長女はオンライン研修、オンライン勉強会、オンラインプレゼン。
次女も動画配信による授業、課題の提出、オンラインによるホームルーム。

私もオンライン面談、オンラインミーティングや会議、オンライン入社オリエンテーション、先日はオンライン会社説明会も参加した。

先日病院で「オンライン診療」なる文字を見かけた。
今や自宅にいてネットで買えないものはないくらい何でも買える。
オンラインゲームも自宅に居ながら多くの人とつながるのだろう。

小さい時、自宅に居ながらなんでもコンピューターで出来る近未来のような映画を見た記憶がある。その時はそんな時代が本当に来るとは考えもしなかった。
子供の頃は一家に一台の黒電話しかなく、長電話をすると叱られよく親に勝手に切られた。
携帯電話が世の中に誕生した時、いつか1人1台の時代が来ると言われていたが、本当にそんな時代が来るのだろうかと信じられなかった。

でもどれも現実となった。

昔予想されていたことはほぼそうなってる気がする。

このオンライン効果、効率の良さは素晴らしい。移動の時間もなければ集まる場所も必要ない。全員でのスケジュールも組みやすい。みな発言もまとめてくる。そして最大の目的である感染防止になる。

でもなんかモヤモヤする。用件も伝わるし用事も済む。なのになんでだろう。
私だけが感じることだろうか。

そんな時に娘たちと話題になったのが「くだらない話の大切さ」だった。
人と会わない生活で雑談が減ったよねと。どうでもいい話をする機会がめっきり減ったよねと。
「どうでもいい話、くだらない話」をして笑っていたいという。
学校の友達や先生と会社のスタッフと。
お店の人達と。

どこの何が美味しかったとか、こんなことがあったとか、最近ちょっとこれにはまってますとか、スーパーがすごい事になってたとか、報告するほどのことではないからわざわざオンラインの場では言わない。ミーティングが終われば終了と同時に画面から強制的に消えるので、対面の時のように雑談することもない。
「最近どう?」という会話が消えて、小さな事で感情的になる人が増えた。

長女曰く、オンラインでくることは、指示、報告、ときに意見、こちらもそれに対しての意見や感想を求められるのですごく頭を使い続ける。社長ともオンラインで紹介されたが話す内容はわかってもその人の感じがよくわからなかった。

確かに。
仕事だから頭を使うのは仕方ないにしても、どこかで頭を休ませる雑談は必要。そしてオンラインではその人のオーラは映らない。

次女曰く、オンラインでのクラスホームルームも先生が一方的に話して終わり、隣の子と話せるわけじゃないし、休み時間にくだらない話をして大笑いすることもない。

確かに。
学校は勉強だけじゃなく人間関係の構築もし、授業の合間にストレスも発散した。

雑談は、ことの確信はふれずその人との人間関係を構築する大切な会話だった。その人となりも発見できたり距離を縮めたりと大事な作業だった。大笑いすることでスッキリし細かい事は吹き飛んだ。ある意味ストレス解消になっていた。

生きていくには「頭をつかわない会話」も時には必要だし、無駄だと思えるようなことにも意味がある。

今後新型コロナ騒動が収まってもこのオンラインは世の中の主流になっていくのだろう。
だけど会うことでしか得られないこともある。
そのバランスを失わない社会であって欲しいと思った。

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