『LOST BOYS』~放課後の授業【前編】~

『LOST BOYS』~放課後の授業【前編】~

わたしの



【ロスト・ボーイズ/Lost Boys (迷子たち)】とは

J.M.バリー作の戯曲『ピーターパン』に出てくる少年たち。
全員動物の形の衣装を着ている。キツネのスライトリー、クマのカビー、アライグマのツインズ、ウサギのニブス、スカンクのトゥートルズ。ピーターの子分として共にネバーランドを冒険し、インディアンや海賊たちと戦う。
ピーターと行動を共にしているが、彼らはもともとは人間の世界の孤児や迷子たちであり、ネバーランドに迷い混んでしまった子どもたちなのである。



新型コロナウィルスの感染拡大防止のために冠婚葬祭のあり方が見直されていると聞きました。

例えばちょうど緊急事態宣言が発令されている期間にご不幸がありお通夜に参列した知人が話していたところによると、今までの形式を変更して執り行われていたそうです。
案内されるまで屋外で待ち、会場に入るのはひとりずつ。声が掛かったら入場して棺の中の死者と一対一で向き合い、時間がきたら係りの人に退室を促されのだと言います。
初七日の膳など飲食は一番感染リスクが高いとされ省略したり、骨拾いも密になって向き合うので葬儀会社の方がすすめるなど様々なアレンジがされているそうです。

現状に即したやり方を模索する運営側の苦労がひしひしと伝わってくるのと同時に、その方式に戸惑いを感じるご遺族や参列者も少なくはないと聞きました。

そんな矢先に実家の母から電話がありました。
新聞の訃報欄に懐かしい名前があったとのことです。聞いていてみると私の中学校時代の担任の先生でした。
さっそく同級生の友人に連絡すると、先生が亡くなったことはすでに知っていました。
コロナの感染で亡くなったのではなく脳梗塞だったそうです。

友人も現在は会社から在宅ワークの指示が出ているそうで、自宅でできることを行い時々電話で完了報告をしたり、zoom を使って会議をしたりしているそうでした。
そんな話をしていると、せっかくだからzoom で弔い酒でもしようということになりました。

パソコンの画面で久しぶりに友人と顔を合わせお互い晩酌の続きの酒で献杯しました。
メールやLINEではごくたまに連絡を取り合っていましたが、顔を見るのは久しぶりで、最初のうちは二人とも言葉少なに照れ笑いばかりしていました。
画面上の友人と自分の顔を見ながらしゃべるこのやり方にも慣れていないからか非常に照れ臭くささが増します。

「しっかりおっさんになってるな(笑)」

「おまえもな(笑)」

stayhome期間だったので人と話せるだけでも貴重でした。その上、酒が飲めるとなると嬉しくて仕方ありません。それほど時間が経過することなく、すっかりほろ酔いになった私たちは亡くなった先生の話に戻ってきました。

「変な先生だったよな」

「たしかに変な先生だった…」

いつも白衣を着ていたし、隙あれば煙草を吸っていたし、酒臭い時があったし、顔は青黒かったし、愛車のボルボはボロボロだったし。
休み時間には科学の実験だと言って生徒を使ってアルコールランプでコーヒーを入れさせて飲んでいるような変な先生でした(別に科学の先生ではない)。

「当時40歳くらいだったのかなー?」

「今の俺たちと同じくらいだったのかもしれない」

「ピーターパンの話、覚えてるか?」
私が聞くと、友人もその話をしようと思っていたと言いました。

「もちろん覚えてるよ」

あれは確か中学2年の春のことでした。
zoom で話している友人とあともうひとりの仲間と三人で当時はよく遊んでいました。あまり詳しくは書きませんが、年頃なので相応のかわいらしい悪事も時々はしていました。
その一つに「中庭大便事件」というのがあり(汚い話題で申し訳ありません)、深夜の学校に忍び込んで中庭の銅像の前にzoom の友人が大便をしたのです。それがバレて放課後に先生に呼び出されたことがありました。

「それで?おまえらは真夜中にわざわざ学校に来たってことか?」

と、先生はあきれたような顔をして僕たち三人を見回してから言いました。

三階にある生徒指導室には少し暮れなずんできた午後の光が射し込んでいて、開け放たれた窓の外から校庭の部活動の掛け声が聞こえてきていました。
だいぶ遠い昔のことですが、今でもその時の光景は忘れていません。
当時私は帰宅部で、普段は授業が終わるとすぐに荷物をまとめて帰るのでスポーツ系の練習の掛け声や演劇部の甲高い発声練習、吹奏楽部の調子っぱずれのラッパの音など聞かずにすんでいました。
あの頃はなぜかそれらを聞くのが嫌な時期があって、逃げているようなところがありました。
結局、原因は集団に入っていけないひがみ根性なのだと薄々は分かってはいましたが、開き直ることもできず、他人なんて関係ないんだと突き放していないと自分が壊れちゃうような危うさがあったのかもしれませんね。
多くの思春期の少年が抱えるごくありふれた面倒くささの一つです。

夜の悪行(ってほどでもないけど)がなぜバレたのかと言うと、仲間のひとりがご丁寧にもクラス中に自慢してしゃべったので先生の耳に届くのも時間の問題でした。
夜の中学校に侵入して中庭の銅像の前で大便したことがそんなに自慢できることなのか私にはよく分かりませんでしたが(今でもよく分からない)、そいつにとってはどうも誇らしいことだったようです。
しかし、その大便を除けば、ただ深夜にうろうろしていたというだけのことなので何も問題はないはずだと私は思っていました。深夜に家のベランダから抜け出して町というのか、森や畑(田舎なので…)をうろつくことは日常茶飯事でした。
夜は静かで冷たくて、好きでした。
だから呼び出されたとき、怒られることは覚悟しましたが、何が悪いんだと思っていました。駄目だと怒鳴られたら、どうしてか言ってみろと開き直って逆に問い詰めたい気持ちもあったのです。

ところが私たち三人が席に着き、最初に先生が言ったセリフが、「それで?おまえらは真夜中にわざわざ学校に来たってことか?」でした。

続けて「おまえらは偉いね」とあきれた表情で言いました。
怒られると思っていたので意外な言葉が飛んできて私たちは肩透かしを食らったようで訳が分からなくなっていました。
「おまえらは偉い」というのだから言葉上は誉め言葉ですが、誉めていないことぐらいは分かります。しかし、言葉の裏に込めた先生の意図することまではよく分からずにいました。

「たいしたもんだよ。そんなに学校が好きか?俺なんか学校が終わってからわざわざ学校に来ようなんて絶対考えないもん。見たくもない」と、先生は言いました。

それを聞いてやっと先生の言葉の意味がなんとなく了解でき「何が悪いんだ」と抵抗しようとしていた強がりも一瞬にして萎えてしまったことを今でも覚えています。
どうしてわざわざ学校に来るのか、そしてどうしてわざわざ学校に向けて事を起こすのか、その奥にある自分たちの心理を考えてみろ。先生の言葉はそういう意味でした。
学校が嫌いだとうそぶいている心理の奥に、それでもどこか学校にこだわり、どこか甘えている自分を突き付けられた気がしたのでした。
事実、僕たちは自由で、どこに行ったっていいはずなのにわざわざ深夜に学校を訪れていました。結局はかまってもらいたいだけだったのだ、と今ならよく分かります。

「俺はやだよ。俺、学校嫌いだもん」

こんなこと言う大人がいるのかとびっくりしました。

「でも先生、僕は銅像に一発かましてやったんですよ?」
大便の功績について全く触れられないばかりか、その行為の意味が学校が好きゆえにやったことだと塗り替えられそうな危機を感じた友人が、慌てて挑発の言葉を先生に投げ掛けました。
学校への反抗からやったことだったので、先生たちが怒ってくれなければ成り立たないのです。

「だから?」

「え?」

「だから何?それが何なの?俺は知らねぇーよ」
本当に気に掛けていないということが分かるようなさっぱりとした言い方でした。
続けて、学校として一応は何か指導をしないといけないらしいが個人としては特に何も言うことはないというような意味のことを先生は言ったように記憶しています。

「そのあとだよな、ピーターパンの話が出てきたのは」

「そうそう」zoom の小さな画面の中の友人がうなずきました。画像がぶれました。

私たち三人は生徒指導室で手を膝にのせて少しうなだれた格好で先生の話を聞いていましたが、いきなりピーターパンと呼ばれて顔を上げました。
先生は睨んでいるような目つきでしたが、それが通常の表情であることも私たちは知っていました。元々顔つきが悪いのです。

「ピーターパン?」仲間のひとりが聞き返しました。

「ネバーランドをふらふらしてさ、海賊たちをからかってピストルで脅かされたり、ワニを挑発して尻に噛みつかれそうになるのを楽しんでるだけだろ?
ちょっかいを出せば誰かが反応してくれると思ってるだろ?
学校に何かすれば先生たちが怒ってくれると思ったか?」
先生はコーヒーをひとすすりして首を横に振りました。
「自分たちが予想した通りに周りが騒然となって思い通りになれば満足か?
おまえらみたいにいたずらして周りの反応を楽しむ奴らのことを何て呼ぶか知ってるか?」

……………………先生はかなり絶妙な間を作り、

「ピーターちゃんって呼ぶんだよ」と言ったのです。

そこまで思い出してzoom の中の友人も私も大爆笑になりました。イヤホンをした耳の中が友人の笑い声でいっぱいになりました。

「ピーターちゃん!」

「あの状況ではさすがに笑えなかったけど、よく俺たち笑わなかったよなー」

「吹き出してもおかしくないよな」

先生は強面の表情を一切変えずに、真面目なトーンで「ピーターちゃん」と言いました。

さらに、「尾崎豊の歌詞に出てくる『夜の校舎窓ガラス壊して回った』って奴も、あれが一番代表的なピーターちゃんだ」と、先生。だいたい不良とかヤンキーと呼ばれるような子どもたちを先生は「ピーターちゃん」と密かに呼んでいたそうです。

「やっぱりおかしいよな」

「変な先生だよな」
改めて思いました。私たちはもう一度お互い画面に向かってグラスを突き出し「献杯」しました。馬鹿笑いしたらなぜか目頭が熱くなってきたのです。

記憶というのは不思議なもので、すっかり忘れていたことが突然思い出されることがあります。あの日に先生がしゃべったことは忘れていることも多かったのですが、友人と話しているうちに少しずつ思い出されることもありました。ひとつが思い出されると、そこから芋づる式にあんなことやこんなことが引き寄せられてきます。

あの日、私たちはクイズを出題されたのです。

「おまえらにクイズを出してやる」
と、先生は言いました。
「ピーターパンがそのままおっさんになったら何になるでしょうか?」

そして、大真面目な顔でシンキングタイム、スタート!と言いました。


答えは「後編」で。

つづく(^_^;



【プロフィール】
「わたしの」
1979年生まれ。山梨県出身。
学生時代は『更級日記』、川端康成、坂口安吾などの国文学を学び、卒後は知的障害者支援に関わる。
2017年、組織の枠を緩やかに越えた取り組みとして「わたしの」を開始。
「愛着と関係性」を中心テーマにした曲を作り、地域のイベントなどで細々とLIVE 活動を続けている。
音楽活動の他、動画の制作や「類人猿の読書会」の開催など、哲学のアウトプットの方法を常に模索し続けている。
♬制作曲『名前のない幽霊たちのブルース』『わたしの』『明日の風景』
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