『類人猿の読書会』


1〈集団をつくり協力することは人間の根っこ〉

昔々、森を出て草原に降り立った猿たちは悩んでいました。

その界隈で自分たちがあまりにも弱い存在だったからです。

爪もなく、牙もなく、足力もなく、空に逃げるための翼もないので、猛獣たちの餌として食い殺されるばかりの最も弱い存在だったのです。

困った猿たちは生き残るためにあることをしなければなりませんでした。

それは何かというと「集団をつくり協力する」ことです。

一匹では弱い存在でも集まることによって大きな獲物に立ち向かうことができました。
また、協力して集団全体をみんなで守ることができるようになりました。
協力して食料を確保し、寝床を構え、生活しました。

猿たちは「集団をつくり協力する」ことで生き延びることができ、そしてやがて彼らは人間へと進化することができたのです。

もし「集団をつくり協力する」ことをしなければ草原に降り立った猿たちは絶滅していたか、草原から森に戻って木の上で猿として暮らしていたかもしれません。

「集団をつくり協力する」ことは、そもそも人間の根っこの部分にあるのです。



2〈津久井やまゆり園の事件〉

2016年7月26日深夜、相模原にある知的障害者福祉施設津久井やまゆり園(知的障害のある方が暮らしている施設)に元職員の男性が忍び込み、暮らしていた知的障害者26名を殺傷するという事件が起きました。(→相模原障碍者施設殺傷事件


「意思疏通ができない者は不幸を生む」

人間を「できる-できない」に区分し、その「できない」を切り捨てることが「集団(社会)にとってよい」「集団(社会)を幸せにする」というのが犯人のメッセージでした。

「幸せになるためには切り捨てよ」犯人のメッセージは集団を構成する我々一人ひとりに投げ掛けられ、「集団をつくり協力する」ことを前提として成り立っている社会全体を根底から揺さぶりました。

あの事件のあと障害のある方はもとより、高齢者や子どもを抱えた母親たちも「次は自分たちの番ではないか」と怯え、不信感が蔓延しました。

「どんな集団(社会)が幸せだと思う?」

その問が私たちに(わたしに)突き付けられ、それに対する答えを一人ひとりに求められました。

「できない」を切り捨てることが幸せだ、というのが犯人の解答でしたが私は「本当にそうだろうか?」と思いました。これは検証が必要なのではないか、と考えたのです。
もし犯人の答えが間違っていることが分かったとして、ではどんな集団(社会)が幸せなのか?
はっきりとした明確な答えは出ないかもしれません。
しかし、その探求自体に答えがあるような、かつて先人たちが祭のプロセスの中に集団(社会)を豊かにする仕掛けを巧妙に隠したように
(『名前のない幽霊たちのブルース3』参照)
探求のプロセスの中に何かしらの発見があるのではないかと考えたのです。

あの事件のあと「共生」が謳われ、啓発ポスターには大々的に「共生社会」の文字が掲げられていたのをよく目にしました。

しかし、それは魔を封じようとするための御札のような気がしてならなかったのです。
その言葉を使えば何か悪いものを封じ込められそうな気がするのですが、しかし実際、我々一人ひとりの頭の中にどれくらい「共生社会」のイメージが持てたでしょうか。
啓発ポスターを見て、具体的に行動の中で「共生社会」を実現するとはどういうことなのか、すぐに答えを出せた人はどのくらいいたのでしょうか?



3〈「できる-できない」のものさし〉

令和最初の夏、私は重苦しく考え込んでいました。暗い夏でした。

「できる-できない」で人を判断し「できない」を切り捨てることが幸せである、という犯人の投げ掛けを検証しようとするときに「それは違う」ときっぱり自分は明言できるだろうか。
果たして自分はそのものさしで判断していないのだろうか。
いや、まさにこの自分だって他者を「できる-できない」で見ようとしているところがあるじゃないか。
そのことに気付いたとき、それについてどう処理すればよいのか悩んでいたのです。

「できる-できない」のものさしが私自身の背骨に走っていて、犯人の答えを否定しようとすると背骨が疼くような感覚を覚えました。
(『名前のない幽霊たちのブルース5』参照)

この閉塞感をぶち破るきっかけとなったのは保育の世界で活躍されている何人かの人の思想や言葉だったり実践でした。
思考が頭打ちになっていた私はこの時期、基本に立ち返って発達や保育をもう一度考え直そうと昔読んでいた本をとにかく読み直していたのです。

そんなときにブレイク・スルーは突然にやってきました。



4〈行動中心主義のなれの果て〉

『大人たちは子どもを「何ができて、何ができないか」というように、行動面、能力面など目に見える面ばかりで見て、いまどう思って生きているのか、どうしたいと思って生きているのか、目に見えないそれらの思いにほとんど目を向けなくなってしまったように見えます。
ところが子どもたちはみな、機会あるごとに「私はここにこうしている」「私をしっかり見てほしい」「私のありのままの存在を認めてほしい」という声なき声を大人に伝えてきています』

と、発達心理学者の鯨岡峻さんは著書の中で書いています。

これは「行動中心主義」や科学に基づく「客観主義」をベースとした現在の保育や教育や福祉や医療などのあり方に対する危機感から生まれた言葉です。

『児童憲章に「子ども一人ひとりの最大幸福のために」と謳われているにもかかわらず、実際には保育者が主導して子どもたちを束ねて集団として動かそうとし、その集団の流れに乗れない子どもを問題視する一方、その子どもたちが集団の流れに乗れるように対応すれば、保育としてはそれで十分というような動きが全体を支配しているように見えます』

と述べられ、発達を急ぎ教材を与え頑張らせて達成させようとする「させる」保育に対して警鐘を鳴らしています。

「させる」ように促し、できれば褒め、できなければ頑張らせようとする。
それは行動だけを評価するということですから過程(プロセス)よりも結果が大切になってきます。

発達心理学や障害児教育の白石正久さんは以下のように書いています。

『いつのまにかすべての子どもを、その一つの物差しで評価し、「できる」か「できない」かという二分的見方や、子どもたちの能力を比べてしまう見方に、はまりこんでしまいます。気がついたとき、いつも子どものできないことばかりにとらわれている自分を発見し、暗い気持ちになるのでしょう。

(中略)
おとなからみて「できない」姿、「へた」な姿であっても、その子のなかには、「がんばってみたい」思いや、確かな手ごたえ、喜びがあるかもしれません。そんな子どもの心を見出し、わがことのように感じることができるからこそ、おとなには子どもとともに生きる喜びがあるはずです』


このように読んできたときに、人を「できる-できない」のものさしで選別しようとする津久井やまゆり園の犯人というのは社会全体が行動中心主義を突き詰めていったなれの果ての姿なのではないかと直感しました。
つまり、ことごとく行動や能力だけで評価され「心」を徹底的に無視されて生きる空気を吸ってきた人間が最終的に取った行動だったように感じたのです。
社会全体のムードが形となって噴き出したといってもよいでしょう。

ここに来て、今まで別々に思考してきた「保育や支援のあり方に対する考え」と「津久井やまゆり園の事件」のつながりが見えてきました。
別々だと勝手に思っていた2つのものの壁が破れ、混ざりあった瞬間に激しいブレイク・スルーが起こりました。
停滞していたものが一気に流れ出したのです。



5〈より生産性の高い歯車であることを求められる社会〉

行動中心主義や科学に基づく客観主義を辿っていくと「功利主義」にぶち当たります。
「産業革命」や「資本主義」から考えていくことも可能でしょう。

工場のラインを思い浮かべてみてください。
資本家はコストを抑え儲けを最大限上げるために可能な限り無駄をなくしどうやったら生産性を上げられるか機械や道具の整備や革新をしたり、配置や流れる速度など環境面を調整します。扱いやすく失敗の少ない材料を開発したり、製造工程を工夫するということもあるかもしれません。
ミスをなくし時間の中で最大量を生産するために効率をとことん突き詰めます。

そのように合理性や生産性や効率を追い求めていった結果、いつのまにかそこで働く人間自体をコストとして見るような見方が生まれました。
(「名前のない幽霊たちのブルース8」参照)

より速く、よりミスのないように、より大量に、より質の高い生産を可能にするための技術や機械が求められるのと同様に、人間も一つの歯車と見なされ「どんなレベルの歯車か」ということが問われるようになりました。
なるべく安く、なるべく生産性の高い歯車が理想です。
一時間に10個しか生産できない歯車よりも20個生産できる歯車が求められ、8時間の労働で根を上げる歯車よりも12時間働ける歯車が求められました。
5分しか作業机の前に座っていられないのは話にならないのです。
このときの人間の捉え方がまさに「できる-できない」のものさしなのです。

「させる」保育の話に戻ります。
「させる」保育は発達の目標を掲げて、そこに向かって子どもたちを引っ張り上げるような保育だということでした。
その時に、その目標が「より生産性の高い歯車」を目指して設定されているのではないかと一度疑う必要があるではないでしょうか。

例えば、先生のお話をよく聞くことができ、静かに座っていることができる………。

そのような「できる歯車」(「聞き分けのよい歯車」)であることが求められる状態がいつのまにか当たり前となり、それが幸せであると社会全体が思い込まされ、おとなもそれを願い求めることによって、保育も教育も福祉も無防備にそちらに傾いてしまっているのではないか、そのなれの果てが津久井やまゆり園の事件につながっていくのではないかと考えることもできるのです。


6〈ありのままの存在を認める〉

その津久井やまゆり園の事件は他人事ではありませんでした。私は、背骨に走る「できる-できない」のものさしの疼きを感じていました。
事件をきっかけにして自分自身の中の行動中心主義をまざまざと突き付けられたのです。
私の(わたしの)差別や優性思想と向き合わざるを得なくなったのです。

自分の中の差別や優性思想を踏まえた上で一体何ができるのでしょうか。

「できる-できない」のものさしから脱却するための手がかりは、「私はここにこうしている」「私をしっかり見てほしい」「私のありのままの存在を認めてほしい」という声なき声を聞くことです。
今、何を考えているのかという見えない心を見ようとすることです。

「私のありのままの存在を認めてほしい」というのはどういうことでしょうか。
「ありのままの存在を認める」と言葉としてよく使われます。
しかし表面的な理解ではなく、それを実感を伴って理解するとはどういうことなのか、それについて自分ひとりで見つけるのではなく多くの人と意見交換しながら探していくことはできないだろうか、と考えて企画したのが「類人猿の読書会」でした。





to be continued(^_^;

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