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『名前のない幽霊たちのブルース』~わたしののおはなし5~

『名前のない幽霊たちのブルース』~わたしののおはなし5~中華料理屋問答~

わたしの



前回までのブルース】 「あの世とこの世のコール&レスポンス」が不発に終わり、またしても頭で思い描いたようにはならなかった「わたしの」。「祭を模倣する」ことを標榜し、社会や集団の豊かさとは何か、先人たちの知恵からヒントをもらいながら地域のイベントで細々とLIVE 活動を続けていた。


真夏の午後でした。
駅前の大通りも、向かいの警察署の壁もうだるような暑さで今にも溶けそうに見えました。道行く人も黄土色の景色の中をハンカチで汗を拭き拭き色濃い影を落としてうつむき加減で歩いていました。
窓の外の景色と対照的に中華料理屋の店内は薄暗く、効きすぎてるくらいの冷房ですっかり汗も引いていたのです。

我々は緑地公園で行われたあるイベントでのLIVE を終えて打ち上げのために駅前の店を探し、この中華料理屋にたどり着きました。薄暗い店内の壁には色褪せた手書きの品書きが貼ってありました。そこかしこから感じられる飾り気のない昭和のなごりが妙に落ち着き、一番奥の隅の席に案内された私たちは一息ついてしばらく無言でいました。

LIVE はあまりうまくいきませんでした。「わたしの」全体というよりも、自分自身の実感としてそれはありました。演奏がうまくいかなかったというわけではありませんでしたが、何か違和感が残っていたのです。多分、自分のコンディションが悪かったのでしょうね。最近は他人のせいというよりは自分の受け止め方(受け止める余裕)がイライラとか怒りとか嫌悪の感情に影響を及ぼすことがあることも分かるようになりました(やっと大人になりましたねー)。その日は…その時期もきっとコンディションがよくなかったのでしょうね。



コンディションが悪い原因は体調もいまひとつだったこともあるんですが、ある考えが頭打ちになっていたこともあるんです。その夏はずっとぐずぐず悩んでいました。

踊りを踊ることができるーできない
歌を歌うことができるーできない
早く走ることができるーできない
英語を話すことができるーできない
などなど……。

『人間を「できる」「できない」に区分して、その「できない」方を排除すると社会はハッピーになるのである』というのが簡単に要約するとあの事件の犯人のメッセージであったと思ってます。それは一般的には「優性思想」と呼ばれています。
(※事件や優性思想について言及している他の方々の素晴らしいコラムが、このサイトのコラムページにはたくさんありますので是非そちらもお読みください)

大袈裟な物言いに聞こえてしまうかもしれないですけど、犯人が問いかけているのは、人間の集団や社会が理想的にはどうあるべきかということなのだと思います。それは例外なく、社会や集団を構成する我々一人ひとりに突き付けられた問いでした。

その夏…令和最初の夏に、暗い中華料理屋で、私がぐずぐず悩んでいたのは、人を「できる」ー「できない」で区分することは駄目だ!何かおかしい、と直感しつつ、しかし自分の背骨にこの「できる」ー「できない」のものさしが走っているということを無視できないということでした。要するにこの自分こそがそのものさしで他者を測ってはいないか?ということでした。それは違うよ、と言おうとすればするほど自分の背骨が疼く感覚があったのです。

私は「できる」ことをよしとされ育てられてきました。「できない」ことは周りから否定されるとまでは言い切りませんが、周りを悲しがらせるのではないかと幼心に感じてきた人間です。

少なくとも学校では、特に受験などでは「できる」ことを目指すようにそれに向けて周りから教育されてきました。
そんな人間が果たして背骨にはしった「できる」ー「できない」のものさしに対して何か言えるのか?そのものさしを捨てられるのか?
そこがよく分からず、うまく処理できずにいました。
どう考えて行けばいいんだろうか?この問いが目の前に立ち塞がっていたのです。

静かにAMラジオがかかっている中華料理屋にラーメンをすする音が響いていました。油の匂いが漂っていました。いつの間にか日は傾き、光は益々黄身を帯びてきました。けやき並木が物憂げに風に揺れていました。

「こういう風に考えることもできませんか?」メンバーのひとりが口を開きました。

走ることができなくたって歌うことができる。
歌うことができなくたって踊ることができる。
誰しもオンリーワンなできることがある。

「………」

いやいや、これでは「できる」ー「できない」のものさしの上から自由にはなっていません。結局「できる」ことは良いことだと言っているからです。

「とすると、できなくたっていいじゃない…みたいなことなのかな。」
「それこそ、口では言えますよ。そんなこと」そしてまたみんな黙って運ばれてきた餃子をつつきました。なかなか美味です。

ある世界的に有名な哲学者もまた意思疎通が「できない」人間は相対的に不幸であるとして殺しても構わないと言い、それに対して世界中に賛同する人間がたくさんいます。環境破壊は良くない、とか、貧困をなくしたいなどと同じくらい当たり前のこととしてそれがみんなに受け入れられていることを知った時、はじめは驚きを隠せませんでした。

しかし、その一方でその哲学が記号をこねくりまわした馬鹿馬鹿しい幼稚な理論上の遊びでしかないのになー、とも思います。なぜなら、そこに主観や関係性などを入れたとたんそんなパズルは軽々と吹っ飛んでいくことは自明のことだからです。つまり「意思疎通ができない人」という記号ではなく、それが例えば「わたしの子ども」だったり「わたしの母親」だったりした場合、答えはまったく違ってくるのではないでしょうか。ある種、そう簡単には答えは出せないことなのかもしれないと思うのです。

そんな記号を並べたてたものが社会や集団が幸せになるための方程式だとありがたがられ、ひとつの羅針盤として称賛されている。馬鹿馬鹿しいけど、世界を覆い尽くす大鳥のような巨大さを想像すると気が滅入ってしまうこともあります。

私たちは食事を終えて外に出ました。日はやや傾いてきていましたがまだまだ真夏のうだるような暑さは残っていました。冷房で冷えた肌も熱気ですぐにじりじりとしてきて、汗がふき出してきました。庇の日陰に逃げ込んで次回の予定などを簡単に確認するとその日は解散になりました。みんな楽器を背負い、それぞれの方向へと帰って行きました。

私の背骨は疼いたままでした。

「できる」ー「できない」のものさしに関したぐずぐずした悩みは結局解決はせず、このあともしばらく続くことになります。

しかし、そのおかげで「わたしの」の活動は「類人猿の読書会」へとつながっていくこととなります。どういう経緯でこの変な名前の読書会をやることになるのか、お話はまだまだ続いていくのですが……。

右往左往、遠回りに遠回りを重ねていましたらお時間がきてしまいました。続きはまた別の機会にさせていただくこととして、今回はこれで終わらせていただきます。
読んでいただき、ありがとうございました。

つづく。



【プロフィール】
「わたしの」
1979年生まれ。山梨県出身。
学生時代は『更級日記』、川端康成、坂口安吾などの国文学を学び、卒後は知的障害者支援に関わる。
2017年、組織の枠を緩やかに越えた取り組みとして「わたしの」を開始。
「愛着と関係性」を中心テーマにした曲を作り、地域のイベントなどで細々とLIVE 活動を続けている。
音楽活動の他、動画の制作や「類人猿の読書会」の開催など、哲学のアウトプットの方法を常に模索し続けている。
♬制作曲『名前のない幽霊たちのブルース』『わたしの』『明日の風景』
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