三浦春馬の死に思う、母と子、そして力関係

三浦春馬の死に思う、母と子、そして力関係

間傳介


先日友人が、ある記事を紹介してくれた。
その記事は先日自死したとされる三浦春馬氏の、死の動機についての記事だった。

生前の彼に対して私は一切思い入れもないし、これから述べるのは憶測に過ぎない事は前置きしておく。憶測を本当だと吹聴することがまずいのであって、その自覚を忘れず、憶測し思考を深めるのは訓練としてむしろ有益と考える。そしてそれがなければ他人に優しくなどできない。

「死生観」は死期が近くなって何処かからダウンロードするものではない。
局面を迎えてマニュアルをこさえたり、慌てて「終活」などするのを見るにつけ感じるのは、「それまで人の死をどうとも思っていなかったのだろう」と思うのみで、生きている人間の生きる姿にも、その思考の軽さ同じ程度にしか重みを感じ得ずにいるのだろうと、そう考える。

友人の紹介してくれた記事には、自己の欲求より他者の欲求を優先させ過ぎたことがその自死の動機と位置付けた。
これはむべなるかなとおもう。

更に、他人が「こうしたいああしたい」という欲求に自分を殺して答え続けていくなかで、「本当は嫌だ」「もっとこうしたかった」という気持ちが自分から削り落ちていく。そうしてさらに自分でない“求められた姿”が利用され、流通していく。

この心の動きは止めなければならない。何故なら「つまらないから」である。
人生においてお金と仕事と健康、これが揃っていればいいようなことを平気で言う者も昨今よく見るが、一点大事なことが抜けている。それは「清々すること」である。
これは個々人によって先天的に少しずつ違う。親子兄弟でも違うし、反対に、赤の他人と似ていたりする。

子役として役者の道に入った三浦春馬氏は、ステージママたる母に細かいことを言われていたのだろう。
教育は達者な者に出会わなければ行われない。慣れさせる、迎合させる、矯正する、これらはどれも、教育とやや近い位置にある言葉だが、この三つを眺め、教育が生兵法で行われては、すぐにバランスを失してしまうことは明白である。罪なことに、それらを与える側は、概ね反省など口にしないし、新しいマニュアルでも探しているのが関の山だ。

昨今“反社”の愛称でお馴染みの、ヤクザの皆さんの世界では、若者がその道に入ったとき、きちんと三度の飯が出て、着るものなどを与えられ、「風呂に入れ」と言われることが、それ以前の暮らしと比べて各段に確かなものであるため、それまで抱いたことのない安堵を覚え、安堵の余り泣きじゃくるものは多いという。
いかに犯罪的手法での金銭獲得を命じられ、従うほかなかったとて、それは、揺るがないことである。むしろそれは喜んで為されるのである。

“保護者”であればどういう保護者でも良いのか。
よく耳にする励まし「越えられない試練は、神は与えない」、本当にそうか。被・虐待死を現世の終わりとする子供は、神の視点からして、何かの試練を乗り越えたのか。“保護者”には、一体どんな試練が与えられているのか。そんなものを試練と言い放てる神に、私は用がない。

つまらない教師、つまらない親に育てられるということ、つまらない上司がいるということ、これは法こそ冒してはいないものの、法以上に大事な道徳における犯罪なのだと指摘しておく。福祉における支援者と老化を含めた不自在(障害、貧困、耄碌等)の当事者との関係もまた然り。

全く生殺与奪の権を持つものは道徳に対し謙虚でなければならない。
これは理想論であるが、理想論は突き詰めるだけ拓けるし、より多くの人を救うことになる。
ピストルを持っている人間自体は危険ではないが、余計なときにその力を押し付けるから危険になる。

三浦春馬に反抗期があったかは知らないが、自分の選択権を、意思を母親に奪われることに慣らされたのだろう。そこに死はないか。私にはそこにすでに薄皮を剥くように少しずつ、死を与えられた、命を奪われ続けたのだと見える。

私自身は、彼と縁もゆかりもない。数学的に言えば30年間という時間は、時を同じくこの世に存在したが、彼には何の助けにもならなかったことだろう。生前の彼に対しては何もできなかった。これは厳然たる事実である。

しかし、何かできないか。彼の訃報を知って、このままただ彼を忘れてしまうのは、ただの反省のない白痴である。考えを巡らせないのもまた、同じことである。情けは人の為ならず、他人は先人であり、大脳の詮無い作用とはいえ、見たいようにみるわがままな自己の鏡である。

彼は意気地なしであろうか。それともなんの道の殉教者であったか。
彼は彼の母を路頭に迷わすべく死んだのだと見ている。無論これを読む人が、そう思わないというのは勝手であるが、私のこの見当に一つ確からしさを私自身の中に灯すのは、私の母の存在である。三浦春馬の母は、金銭的依存を彼に向けたが、私の母は私に名誉の片棒を担がせようとし、私がそれを持つ気がないとみると、共有する気がないとみると、大泣きするのが常であった。
そういう甘え根性に嫌気はさすが、金銭的に頼らざるを得なかったことや、名前を借りざるを得なかったこともあり、付き合いは続けてきた。しかし何より自分が子を持つ身になりあの女から生まれたのだというのは全く嫌な事実として残る。

そういう私の事実と引き寄せすぎるのも彼には悪いが、「少しわかる気がするよ」と言ってもバチが当たらないのではないかと思う。

私は彼の死のあと、私の携帯電話から、離れて住む母の電話番号と、LINEのトーク履歴を消した。

私の故郷は、死んだ父方の祖母の話す屈託のない、現代日本語の文字列では表現し切れない、リエゾンを多く含んだ、歌うような鹿児島弁の言語空間の中にあり、それは記憶の中にのみある。

私が幼い頃よく出会った、湿気を含んだ埃が逆説的な清潔さをもって、ほんの薄く積もる店内から、しゃがれているのに瑞々しい呼ぶ声の、下校中の私を引き止め「お前はお前の親父の小さい頃にそっくりだ」と告げる、少女のような顔で笑い合っていたほっかむりの老婆たちは、皆もう鬼籍に入った。

テレビやラジオ、義務教育によって、私の故郷は駆逐されたのだ。相続を拒否されたのだ。

相続を拒否しながらも彼女は現代の鹿児島という私の知らない空間に棲まい、何かしらやっているようだ。母は私にとって今後、社会的取引先としてしか、私の人生には存在しない。それは彼女が無意識的に願ったことでもある。私からの私の感情の贈与又は本気の言葉の分け与えは行われないということだ。

心理的母殺しが深層心理に於いて何にあたるか私は詳しくない。
ただ私は、彼女を牢獄に送ったような、葬式を出したような気分でいる。
喪主は私以外の誰でも良い。香典も、弔辞もない。ひとつの終了であり、それ以外の意味も含みもない。

こうできたのは私の家内の支えと、他でもない三浦春馬氏の、伝え聞く彼の母との葛藤や内なる戦いの気配である。彼は私に決断をさせた。一重に頭を垂れるとともに、冥福を祈るのみである。

死者と対話をしない人間に、現世の人間と対話ができる訳がない。死者はこちらの無礼を赦す。また、死してなお鍛えてくれる。

「話せ、お前の本心を。隠して逃げる気か。と。」

死んだ者から逃れられた者はいない。また、自己の死からは逃れられない。

「馬鹿な親、上司、教師」
そう言われて憤るような姑息な人間からねじ込まれた価値観に苦しむあなたに告げる。
さっさとそいつらを黙殺し、あなたの頭から心から放逐し、あなたの人生を送れ。


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