はじめての介護

原田奈実


皆様はじめまして。原田奈実と申します。
『入社して』のコラムをという事で、筆を取らせていただきました。
初めての投稿でどのような内容、言葉を選べばよいかと悩みながら書かせて頂きましたので、面白い内容ではないかもしれませんが、お読み頂けますと幸いです。

この度、ご縁を頂き、重度訪問介護のお仕事をさせていただく事になりました。

私はといいますと、大学院までずっと理工系を専攻しており、就職してからは5年近く営業の仕事についておりました。今回の転職は2回目になりますが、畑違いの介護を選択したきっかけは、祖母と、前職の保険営業でお会いしたお客様でした。

私は、和歌山県の御坊市という所に生まれた、大のおばあちゃんっ子です。
中学生時代は陸上部、駅伝部で練習に励み、お陰様で県外の大会にも出場させていただきました。
また、大学院では石川県、就職してからは、新潟県、岐阜県をはじめ、色々な地を周り、現在、千葉県に落ち着いております。
そんな私を口実に、県外旅行に行くことが、祖母の楽しみであり、私も、「これはおばあちゃんに食べさせてあげたいわ!」とお店探しに、お土産探しと鼻息荒く探したものでした。

しかし、この1,2年は新型コロナウィルスの影響で、旅行もできず、実家に帰る事も出来ず、お土産やプレゼントを贈るものの、しばらく会えていませんでした。
今年の6月、どうしても車が必要で、実家に取りに行った際に、久しぶりに会った祖母に愕然としました。
母から緑内障と白内障あるから手術するで、とは聞いていましたが、耳も遠くぎこちない歩き方に、ヤニだらけの目をしょぼしょぼさせた、おばあちゃんの姿でした。
会うまで、私の頭の中の祖母は、溌溂とした姿のままだったのです。
確かに近年耳が遠くなったし、足も悪かったが、たった2年会わないだけでこんなに変わるのかと、とても驚きました。
「近いうちに介護要るようになるかわからんな(なるかもしれないね)」と少し寂しそうに言う母に、あぁ、時間の流れって、同じようで、おばあちゃんと私では違ったんかなと思いました。
母の話では、長年続けていたお店を畳んでから、動かなくなった祖母は、コロナ禍で輪をかけて動かなくなり、みるみる歳をとったそうです。

それから、保険営業で「介護になったらこうなりますよ。」「介護は本当に、心身ともに大変ですよね。」と言いながら、なんて薄っぺらいセリフなんだろう思うようになりました。
病気の後遺症や、認知症の介護をしているお客様や同僚の、苦労なさったお話や、リアルな相談に、介護は本当は身近なことなのに、知識もかける言葉も私は持ってないのかと。
何も知らない、知識もない自分に、とても嫌な、情けない気持ちになったのです。
やれるもんならやってみよ。そう思った事が、今回の転職で『介護職』を選んだ理由でした。

今現在、何件かの支援をさせて頂いておりますが、一口に重度訪問介護と言っても、ご利用者様の状態、年齢、環境が違えば、比較的安定している状況も、気を抜けない緊張が伴う状況まで様々です。
大きな事をしなくてもいいから、気持ちよく、ご本人様とご家族様が、少し楽にしたい事を、日常生活を送れるように、できる範囲で頑張ろうと思っています。無資格の私には努力で寄り添うしかありませんので、これからしっかり向き合って参ります。
そしていつか、お婆ちゃん孝行、親孝行に繋がると幸せかもしれません。

拙い文章でしたが、ここまで読んで頂きありがとうございました。
これからも引き続きご指導ご鞭撻よろしくお願い致します。

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