利用者・加藤拓の経験”知”

加藤拓


第10回 できること、できないこと

ここ最近、ようやく対面のミーティングやイベントの仕事が再び増えてきたが、オンラインミーティングやイベントが急に減るわけではないため、むしろ忙しくなっている。そんな中で資料作成やコラムの執筆をしていると予想以上に時間がかかることが多く、以前よりも集中力が続かなくなっていることを感じている。様々な経験を積むことで効率よくこなせるようになったとは思うが、深夜に頑張ることは難しくなってきた。以前にできたことが今も変わらずできるとは限らないのだと肝に銘じて、より計画的に進められるようになりたいものだ。

さて、介護サービスの目的は利用者の日常を支えることだと、私は何度も書いてきた。ヘルパー研修では基本的に、いかに支援するかという文脈で様々なことが語られるが、支えるということはやってあげるということだけなのだろうか。今回は、利用者にできることと支援が必要なことをどのように捉えるべきなのかを考えてみたい。

私は30歳くらいまで、食事は時間をかけて自力でやるより、ヘルパーに手伝ってもらったほうが早く済むからいいと考えていた。障害のない人とできるだけ同じような“さま”でありたいという思いが強く、特別な道具を使うなんて恥ずかしいと思っていたからだ。しかし、それを大きく覆す出来事が起こった。2014年の春、私は頸椎椎間板ヘルニアを発症して、全身の力が弱り車椅子に座っているのも辛い状態になってしまった。寝返りすらできず、右腕は痺れがひどく何も持てない有様だった。幸い手術によって回復し体の痺れはほぼなくなったが、執刀医からはリハビリ入院を勧められた。「元々歩けたわけでもないのに、今さらリハビリして何になるのか」と思いつつ渋々始めたリハビリ入院で、体を鍛え様々な道具を使いながら必死にできることを増やそうと努力する他の患者たちの姿を、私は目の当たりにした。私も食事に挑戦することを作業療法士の先生に勧められ、車椅子にテーブルを固定し、さらに左肘を固定して柄の太いスプーンを使ってみたところ、かなり上手に食事ができるようになったのだ。その様子を見ていた作業療法士の先生とのやりとりは、今でも心に残っている。

(OTの先生)「なんだ、できるじゃないの!」

(加藤)   「実は、子どもの頃はスプーンを使ってあちこちにこぼしながらも自力で食べていたので・・・」

(OTの先生)「じゃあなんで今までやらなかったのよ?ここでのリハビリはね、君を障害のない人に近づけようとしてやるんじゃないの。自分なりのやり方でも、できることが増える方が君のためになると信じてやっているの」

私には、返す言葉がなかった。自分の持てる力を出し切らない生き方こそ恥ずかしいのだと、感じずにはいられなかったのだ。私はそのやりとり以降、ストローをさして自分で飲み物を飲む、ゴミをゴミ箱に捨てる等、細かいことでも自分でやってみることを心がけた。やってみればできることが、実は多くあったのだ。本人の心身の状態はもちろんだが、このようにモチベーションと工夫や周囲のサポートによって、できることは増えも減りもするのである。

ただ、それだけではどうにもならないことも過去にはあった。自身の経験を伝えることなら不自由な体でもできると考え、私は教員免許を取得した。資格を取ったからには教師として働いてみたいと思い、大学院修了後に東京都の教員採用試験を受けたことがある。しかし、一般公務員試験の障害者枠の場合は認められているパソコンを使った解答が認められず、私は試験会場で横になって自筆せざるを得なかった。なぜパソコンによる解答を認めていないのか問い合わせたところ、教員には板書が必要で、上肢(手や腕の)障害によってそれができない人の受験を想定していないからだというのだ。マークシート問題はともかく、小論文を書き終えることは難しく、始まる前から“負け戦”となってしまった。

教育実習では板書ができないことを前提に、事前に資料を用意して私が説明しながら生徒が書き込むという形で授業を進める方法を練習してきた。しかし、教育委員会が「教師には板書が必要」と考えている以上、簡単には受験環境は変わらないと考え、再挑戦を断念したのである。それから10年以上経ち、今回のコラムの執筆にあたって都の教育委員会のホームページを調べたが、なんと未だに受験の際に配慮される障害は視覚、聴覚、下肢のみだった。IT機器やオンライン環境が整備され、リモート授業すら珍しくなくなった今もなお「教師には板書が必要」なのだろうか。私のような障害者が実際に教壇に立つためには他にも課題があることはわかるが、板書を理由に受験を制限するのは不合理だと感じる。技術の進歩や社会のあり方によっても、できることは増えも減りもするのだ。

頸椎の治療とリハビリを終えて戻ってきたとき、当時のヘルパーは私のケア内容が変わったことに一様に驚いていたが、私が自力で食事をする様子を見て皆が喜んでくれたのをよく覚えている。担当だった作業療法士の先生によれば、リハビリ病院では頑張っていても自宅に戻ると家族やヘルパーに甘える人も少なくないという。私の場合は、周囲の人たちが喜んでくれたことがやる気を引き出し、習慣になったという側面もある。ヘルパー個人が社会に対して何かをすることは難しくても、利用者の状態に合わせたケアをともにつくっていくことはできるはずだ。そして、利用者の力を引き出すような関わり方を模索していってほしい。人が人を支えることの価値はここにもあると、私は思っている。


加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。

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