介護と自分

小川祐季奈


はじめまして、小川祐季奈と申します。2022年4月に入社し、神奈川エリアでお仕事をさせていただいております。
経歴は高校卒業後1年間フリーターをし、いい加減そろそろ職に就こうと横浜市にある賃貸専門の不動産会社に入社。その後父が亡くなったタイミングで不動産会社を辞め、ハローワークで仕事を紹介されたのが病院の看護助手でした。

その病院は幾多の高齢者施設と提携しており、入院患者はほぼご高齢者の方でそこで私は高齢者介護を学びました。
最初は寝たきりレベルの患者様にどう触って良いのかも分からず、全く知識のない状態から教わることもいっぱいで初日は頭がパンクしながら帰った記憶があります。
私は痛い事が見るのもされるのも本当に嫌いで最初の頃は注射や吸引時に患者様を抑えながら顔を背けつつ患者様に謝りながら「絶対看護師にはなれない!」と心の中で強く思っていました。

そんな私も時が経つにつれ職場ではベテランと呼ばれる立ち位置になり、次第に経営側の立場や現場の立場、現状の介護のあり方や自分が今後も身体を庇いながらこの仕事をこなしていけるのか等色々なところに目を向けるようになりました。
実務者研修を受け、介護をそこできちんと学びました。そしてもっと相手と向き合える仕事をしたいと思い特別養護老人ホームに転職しました。

しかしそこでもご利用者様主体とは言えない環境でコロナも相まってピリピリとした空気が流れていました。
ご家族と対面が出来ずストレスを溜め込んでしまうご利用者様や病院でご家族に会えたけど結局亡くなってしまったご利用者様など1職員に出来ることもあまりなく、ずっと悩みながら仕事をしていた気がします。
父方の祖母の転落をきっかけに結局その職場を辞めてしまいました。

祖母は一人暮らしをしていたのでそれまでほったらかしにしていた分ちょこちょこ支援に通っていたのですが、逆にそれが祖母のストレスになってしまい転職活動を開始しました。
それ以降は最低限のやりとりですが今現在もどういう風に関わっていけばいいのか迷いながら現状を維持しています。

転職活動をしなければ重度訪問介護という言葉も知りませんでしたし、障害者介護自体意識することもなかったと思います。
介護の仕事は今後なくならないと思いますし、直に困っている人を手助けすることもできるので、この土屋訪問介護事業所で幅広く色々と学べたらいいなと思っています。

最後に皆さまご自身の身体と心をご自愛下さい。健康で心の余裕が多少ないと他人を支えるのはとても大変でリスクがあるものだというのが私の個人論です。
つまらない自叙伝もどきになってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

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