「樹(き)のように水のように生きる」

並木 紀子


第6回 2023.7月

療法士さんたち

難病というのは、文字通り治るのが難しい病気ということです。
だからこそ神経病院には、医師と看護士の他に療法士が充実しています。

*理学療法士(PT)、身体のリハビリをしてくれる。
*作業療法士(OT)、手の機能を保つためのリハビリと、パソコンが使えるように工夫してくれる。
*言語聴覚療法士(ST)、嚥下機能を保つための工夫をしたり、発語できるような工夫をしてくれる。
*心理療法士(カウンセラー)、心の不安と悩みを聴いて、落ち着けるように一緒に考えてくれる。

私は幸い、球マヒ(顔と口の筋肉のマヒ)が無かったので、STの世話にはならないで済んだけれど、他の3人の療法士にはとても世話になりました。
特に心理療法士(カウンセラー)の女性に、不安な気持ちを聴いてもらえたことが、どんなに助かったことでしょう!
病室では、決して涙を見せなかったのですが、カウンセリング室では、枯れ果てるほど泣きに泣きました。
そのおかげで、家に帰ってから家族に涙を見せずにすみました。
家族も慣れない介護でいっぱいいっぱいなのですから、本人に泣かれたら、より辛いことでしょう。
そういう意味でも、病院のカウンセリング室で心の整理をしてもらってから、帰宅したことは大変役に立ちました。

またPT室(体育館位の大きさ)に行って、皆さんが歩く練習をしたり、機具を使ったリハビリをしたりされているのを見たことで、
「難病になっても、みんなこんなにがんばってるんだ!」と励まされました。
私を担当してくださったKさんはPTの主任で、手足のリハビリはもとより、呼吸リハの達人でした。

呼吸筋が衰えて行くALS患者には、2つのタイプがあるそうです。
1つ目は、吸うのが苦手なタイプ=酸素が欠乏するために苦しくなる。
2つ目は、吐くのが苦手なタイプ=二酸化炭素が貯まるために苦しくなる。

私は、2つ目の吐くのが苦手なタイプでした。
Kさんは、私が吐くと同時に胸を押し、最後にブルブルッと揺らしてくれました。
そうすると、貯まっていた二酸化炭素をすっかり吐き出すことが出来て、呼吸が楽になりました。
Kさんは、夫にもその方法を教えてくれました。
その後帰宅してから、夫は毎朝欠かさず呼吸リハを続けてくれました。
おかげで、主治医の平井先生も驚かれるくらい、呼吸の機能が保たれていました。
Kさんと、亡き夫には本当に感謝しています。

OT室では、様々な人がそれぞれの症状に合わせた課題に取り組んでいました。
ボールをカゴに投げ込んでいる人。
板の上の木のピンをつまんで、隣の板に移し換えている人。
テーブルの前に座って、タオルでテーブルを前後に拭いている人。
手芸をしている人。
OTに習いながら、パソコンを練習している人。
(私たち患者にとって、パソコンはとても重要なのです。
将来、声を出せなくなった時に、言いたい事をパソコンに打ち込んで伝えたり、メールをしたり、インターネットを使ったりと、パソコンが出来ることが生活の質を高めます。
普通の人のようにキーボードに打ち込む事が出来なくなったら、障害者用のマウスを使います。
進行性の病気の場合は、それもだんだん出来なくなります。
そうなったら、パソコンに障害者用のソフトを組み込んで、特殊なスイッチで操作します。
スイッチは、その人の症状に合わせて、いろいろなものが有ります。
私は、始めはマウス、次は手で押すもの、その次は足裏の先で押すもの、その次は頭の横で押すものと移り変わって来ました。
今は、頭の下に入れたスイッチを、首を動かして押しています。
もしそれも出来なくなったら、眉毛の上のほうのおでこにセンサーを貼りつけて、眉を動かして操作します。
これらは全部、OTの本間さんが考案して、手作りしてくれたものです。
研究熱心な本間さんは今、肛門の括約筋を利用するスイッチを開発中だそうです。
これらのスイッチの事は、「ALSケアブック」ALS協会発行に、本間さん自身が詳しく書いています。)

本間さんは、何度もラジオやテレビに出て、インタビューをされています。
休日にはボランティアとして、全国の患者のところに行き、パソコンやスイッチの困り事を解決して上げています。
私も、何回もお世話になりました。

その本間さんが熱心に取り組んでいるのが、患者の声を残すことです。
難病患者は、いずれ気管切開をして、呼吸機につなぐ必要があります。
そうなると、もう声が出せなくなってしまいます。

本間さんは、まだ声が出せるうちに患者の声を録音して編集し、「マイボイス」というソフトに入れます。
自分のパソコンにそのソフトを入れてもらっておけば、スイッチを押すだけでいいのです。
言いたいことが、パソコンから自分の声で出て来ます。
私も「マイボイス」を入れてもらったのですが、気管切開をした後、パソコンから自分の声が出て来た時の感動は忘れられません。

本間さんとの関わりについては、次回詳しく書くつもりです。
どうぞお楽しみに!

曇天に 雨の欲しげな 白紫陽花(あじさい)

オレンジと 赤の山百合 垣のそば


並木紀子(なみきのりこ)
1951年生まれ。2009年に進行性難病のALSの診断を受け、現在は人工呼吸器をつけ重度訪問介護サービスを24時間利用しながら生活を送っている。
2018年に絵本を自費出版。
「北風ぼうや おおあばれ」 なみき のりこ さん
「体は不自由でも 心は自由です。空を飛びます。風を切って走ります。楽しい歌を歌います。あなたへ 言葉を送ります。のりこさんの 声を聴いてください。」推薦文より私...

「体は不自由でも 心は自由です。空を飛びます。風を切って走ります。楽しい歌を歌います。あなたへ 言葉を送ります。のりこさんの 声を聴いてください。」 推薦文より


訪問介護サービス
新規のご依頼はこちら

介護スタッフ
求人応募はこちら

当事者コラム