スタッフ紹介 井形 千恵子

井形 千恵子


入社してからもうすぐ1ヶ月経です。4人のご利用者様と同僚とのご縁がありました。
ご利用者さまの病状は、人それぞれですが、共通して言えることは「一生懸命、今を生きている」ということです。
私が当たり前のように行っている動作、例えば、食事、睡眠、歩行、呼吸等が困難であり、他人からのサポートを受けなければ生きていけない状況で、肉体的にも精神的にも過酷な状態です。
あるご利用者様は、私がお宅に伺うと「50年間もこんな体で、生きる気力がない」と訴えられました。私は「そうなんですね」と相槌を打つしかありませんが、数時間後に弟さんがお見えになると、楽しい会話に包まれ「嬉しかったわ。今日は良く寝られる」とおっしゃいました。数時間前の険しい表情が一変し、柔和なお顔になり、私が退出する際には「また来週も来てね」と笑顔で見送って下さいました。
他のご利用者さまも、ムスッとした気難しい表情をされていますが、時折見せる優しさにホッと肩を撫で下ろし、嬉しさが込み上げてきます。
ご利用者さまにとって、この重度障害という「課題」受け入れ、自分自身を心から愛することは難題です。乗り越える前の感情は、とても複雑であり繊細です。

私が、重度障害の介護の仕事を選んだ理由は、正社員として責任のある仕事がしたい、という想いからでした。
介護の仕事は、長年興味がありましたが、介護の仕事の大変さは良く分かっていました。
父が重度障害者であり、親族の多くが難病奇病の疾患者だったので、幼い頃から病院に出入りしていました。
医療ミスも体験しました。親族が危篤状態から生還したこともありました。従姉妹は「こんな辛い治療は嫌だ、家に帰りたい」と病院を脱走したこともありました。
私が幼い頃、椅子が一個しかない時は、どんなに自分が疲れていても父の為に席を譲りました。
また、父は自分の思う通りにならないと癇癪を起こし、近くにある物品を投げつけて、罵倒することは日常茶飯事でした。
父は何度も入退院を繰り返し、病院を転々としていたので、母は家計を支える為に、食堂を経営しましたが、母の負担が少しでも軽減するように、私も洗濯、掃除、店の調理、皿洗い、仕入れ等、出来るだけ手伝いました。
こうした家庭環境で育ったせいか、医療現場や介護現場での大変さは、肌で感じ取っていたので、会社の内定が決まった後に、自分には務まるだろうか?と深く悩みました。
面接された上司からは「じっくり考えて見て下さい」と2週間猶予を下さいました。その間に会社のホームページや評判を検索しました。

自分の人生経験と対峙してみると、今まで他人の為に十分過ぎるほど尽くし、身も心も疲弊していることに気づきました。「今度は他人の為ではなく、自分の為に働こう。そうすれば、介護という仕事を通して、自己成長出来るかもしれない」という結論に達しました。心に引っ掛かっていた塊がす~っと抜けて、目標に向かえるだけのエネルギーが満ち溢れてきました。
これから課題に直面することもあるかもしれませんが、同時に沢山の発見や喜びも体験していきたいと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。    

訪問介護サービス
新規のご依頼はこちら

介護スタッフ
求人応募はこちら

コラム