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でこぼこ道を歩く~ポストコロナを考えてみた~

でこぼこ道を歩く~ポストコロナを考えてみた~

城谷平


 まだ終わっていないし、個人的には数年かかるんじゃないかとも思っている。

 3密禁止なんて言ってるけど、もともと他人との断絶~分断が進んでいたところに加え、新型コロナだ。感染の恐怖心は簡単になくなるものではないし、精神にトラウマが残らないわけがない。できるものならそのダメージは未然に最小化したいものだと思うのです。また、介護職には介護職ならではの対処があるとも思います。

 いったいコロナ禍の下で僕らの精神は何を失ったんだろうか?あるいは何を失う恐れがあるのだろうか?そう考えると、二つの項目が浮かんできた。

 ①生活保護を受ける身になって。

 ③同情という言葉を取り戻す

 怪訝に思われる向きもあるだろうけど、とりあえずこの二点。いったい、僕らは人との距離を開け、マスクをつけてしか人と会わずかつマスクを通してしか話さず、時には日よけバイザーみたいな覆いをかぶって完全武装し、スーパーのレジには透明の仕切りを作って相手にできるだけ触れないようにお勘定etc…とコロナ以前になかった環境下で生きていかざるを得なくなった。

 その影響と後遺症のようなことを考える。他の人に冷たい社会にこの日本が向かったら嫌だろうなとか考えながら。自分は甘いのだろうか?思いはグルグル回るのですよ。

 今これを書いていて“人との交わり”という言葉が浮かび、とたんに引っ込めてしまった。もう失われてる?読者はそんな僕の気持ちをお分かりだと思う。端的に失われそうなものの代表がこれだと思う。もともと浮かれたところのある僕は、花見ができなかったのがいまだに心残りだし、人恋しい気持ちが消えない。友人と馬鹿話を好きなだけしたい。この気持ちは大事にしたいとあらためて思っている。

 ①については、多くの人が実はすでに経験していることだ。例の10万円の給付金だ。日本には“お上の世話になるなんて恥だ”という一種の同調圧力がある。“社会的スティグマ”という言葉で表すらしいが、コロナ禍でほんの少しでもメリットがあったとすれば、給付金を待ちわびる気持ちを多くが共有できたこともそのひとつかもしれない。生活保護を待つ気持ちと同じだと思うから。

 ドイツのメルケル首相は素晴らしい言葉がある。彼女は給付金(日本よりずっと多いし早かった)に際し「非官僚的に給付する」とそえた。僕は彼女のような人を頭にいただく国が心底うらやましいと思う。

 皆さんの中にそういう人が出ないことを祈るけど、やばいと思ったら、迷うことはない。生活保護でもなんでも堂々と求め申請したらいいと思う。保証金を積極的に配り国民を助けようとした先進諸外国に比べ、日本は遅れてるけどそれが行政の役割です。そういう方向に基本のパラダイムは変わったと思う。

 仕事を休まざるを得ない状況に多くの人があるけど、お金を稼がなければ人は生きてはいけない。こんな当たり前をやっと日本人は共有できたのではないか。住所のないホームレスの人々にも給付金を、というこれまた当たり前すぎる考えには以前の“スティグマ”感からは否定的になりがちだったけど、今はホームレスの人々へのまなざしは柔らかく変化しているのではないかと思う。僕はこれも「コロナ禍で少ししかなかったいいこと」だと思う。

 介護職はコロナの恐怖があっても仕事は休めない。介護を受けなければ生活が成り立たない人が相手だから。お金のためだけでなく「自分が行かねば」と誰だってわかっている。だから素晴らしい仕事なのだ、とだけ書いておこう。

 ただし自分が感染している恐れがあるときは少しの熱でも厳然と休まなければいけない。損といえば損かもしれない。少し書くと、社会がそんな介護職みんなの気持ちを分かってほしいとは思う。介護職側からの発信が必要だ。コロナをきっかけにそうなる可能性はあると信じる。

 ②で「同情」という言葉をあえて使っている。例えば、障害のある人に同情と書けばどうだろう。たぶん即、反感を持たれるだろう。何を上から目線でいってやがる、と。しかしこれっておかしくないか?同情って人を見下げるものなのか。違うだろうと思う。介護の教科書には、確か、障がい者の側からあえて意志的に依存する、というような考えが必要と示されていたと思う。そうやって垣根を超え近づいてゆくことが必要であるのは何度か書いた。そうやって同一目線の同情が獲得できないだろうか。

 結局僕は、この同情といういかにも手あかのついたような言葉を、取り戻そうといってるのかもしれない。上も下もない本来の意味を持つ、同情。共感と言い換えてもいいかもしれない。介護する人とされる人との間にある共感。これをもう一回でも二回でも何度でも点検すべきだ。

 「永遠の昨日性」という言葉がある。今日は昨日と同じく、そして明日も同じように来る、という温い(ぬるい)考え。コロナ禍で、それは終わると思う。温い考えって実は結構好きなんだけど。

※「永遠の昨日性」。マックスウェーバーというエライ先生の経済学に関する本の中に出てくる言葉をミーハー的に使いました。人が支配される三つの要素の一つとされる。日本の政権のトップを考えると正しいと思う。恐ろしいことですが。

     
     

【プロフィール】 1955年、佐賀県唐津市呼子町生まれ。いつのまにか還暦は過ぎ、あのゴジラよりは1歳年下。介護の仕事に就いたきっかけは先年亡くなった親友のデザイナーの勧め。「人助けになるよ」との言葉が効きました。約二十年くらい前に飲み友達だった大家が糖尿病で体が不自由になり、一昨年暮れに亡くなるまでお世話。思い出すとこれが初めての介護体験でした。今はその亡き大家のうちにそのまま住んでいます。元業界新聞記者、現ライター。