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謙虚とは

謙虚とは

佐藤飛美



「謙虚であること」を身近な仕事仲間に、私はチームリーダーとして時々偉そうに説く事があります。

それが貴方には足りないのだと、これまた偉そうに伝えさせていただいた事もありました。

介助者として利用者と接する時、同僚と話し合う時、そういった「お仕事タイム」に限らず日頃から常にそうあるべきだと私個人は考えているわけなのですが、ところで謙虚さとは具体的にどういう事をいうのでしょうか?

私は自他ともに認める社内ではちょっと有名な頑固者です。

頑固の類義語を調べるとなかなか辛辣なワードが並ぶのですが…そんな私が「謙虚」を日頃みんなに説くわけですから何かがおかしいなと実は内心感じています。

そんな一抹の不安を感じつつも、今日は自分なりの謙虚像を書いてみたいと思います。

まず私がどんな時に謙虚ワードを炸裂させるかというと、やはり他者をついつい攻撃してしまう仲間を目の前にしたときです。

他者との関係性の中、勝ち負けへの執着、優位に立ちたい自分を守りたいという思い、焦り、そういったものが攻撃性を高めるのかもしれません。

ですが、そもそもそれは本当に勝ち負けを決める必要のある対話なのでしょうか。

本来目指すべきゴールはどこなのでしょうか。

相手を責めるよりも先に自分の誤りを探し、もしあったならばそれを認める事ができて欲しい。

たとえ相手のメッセージが反論に値する内容であっても、相手の意見を先ずは受けとめ、一呼吸置いてからゆっくり自分の使う言葉を選んで欲しい。

売り言葉に買い言葉、まるで卓球台を挟んで打ちあうかのように、目にもとまらぬ速さでラリーを繰り広げる必要はどこにもなく、この人と分かり合いたいと思った時ほどゆっくりで良いのではないでしょうか。

相手が発した言葉の後ろに続く、端折られたメッセージは何だろうかと思いを巡らせてみたり。

そうして沈黙を恐れず、じっくり言葉を選ぶことを私は心掛けています。

とはいえ、家族からは言葉選びに時間を使い過ぎだと指摘を受け、言葉選びを怠れば途端に「どうしてそんな事を言うんですか」とチームメイトに呆れられることもしばしば…。

トホホな失敗の繰り返しです。

もう一点

相手の努力や成果を軽んじず、感謝の気持ちを伝えられる人間でありたいと考えます。

夫婦円満の秘訣などでもよく取り上げられていますよね、感謝を伝えていますか?と。夫婦に限らずどんな人間関係でも必要不可欠な「ありがとう」は魔法の言葉です。
やって当たり前、出来て当たり前精神が双方の間にもたらす心の溝は、氷河に形成されるクレパスのように深いものになり得ます。

上司部下の関係性はもちろんの事、これは私自身が介護現場でも気になっている点のひとつです。

利用者は介助者へケアのリクエストを行う中で、「当然できる」もしくは「対応できるべきだ」という感覚を抱いているように感じることが時にあります。

介助者のポテンシャルは様々で、当人の気持ちとは裏腹に必ずしも万能に動けるとは限りません。ですが、まずは挑戦するその気持ち、その中での過程や小さな成長を見逃さず、喜びや得た自信を利用者の方々にも一緒に拾い上げていただきたい。

もしかしたらそこには、介助者の人知れぬ最大級の努力が隠されているかもしれないからです。

利用者と介助者のケースを書きましたが、これは同僚、親子、友人、恋人…どんなペアにも当てはまります。

先に述べた丁寧に行う言葉選びや、相手の努力や成果を軽んじない事。他にも謙虚から思い浮かぶ項目は「悪口を言わない」など私なりに幾つもあるのですが…。

どれも、自分だけでは想像に及ばない「かもしれない」の可能性を探っていくことに集約されるのではないかと思います。

謙虚というと「控えめ」と捉えたり、時に誤った解釈としていわゆる自分を卑下してしまったりという事があるかもしれません。

ですが、自分の発想が全てではないと常に心に留め、そして相手の見ている景色に幾らかでも興味をもつこと。

千変万化いつだって取り巻く状況は変わり、それに対応できるだけの心の調整をつけておく。必要とあらば変幻自在、もっともっと自分自身いかようにも変わる事ができるのだと己を信じ、自分と相手のどんな可能性をも疑わず、常にポジティブに相手と向き合う姿勢。

私の中の謙虚とはそういうものです。

しかし、そんな風に考える私がなぜ、…頑固者として社内で有名なのか。

何かがおかしいぞという最初の疑問に再び戻るわけですが、それはまたいずれ考えるとしましょう…。

私なりの謙虚を胸に、今日も明日も明後日も精進します。