私はこれまで販売業務に従事して参りました。
目標の数字に対して、いかに効率よく部門運営を行えるかに力を注いで参りました。
ただ、それはお客様が求められている売場展開ではなく、売上(数字)の為だけに特化した売場になっておりました。
お客様からこの商品が欲しい・少量にして欲しいと言われても、会社の方針でお断りする日々が続き、お客様のお声にお答えできない悶々とした日々を過ごしておりました。
そんな折、昨年2月に父が末期がんと申告されました。
私は医療の事など全くわからず、まずは手術・入院をした父の気持ちを当時の私はあまり考えずにいました。
次第に弱って行く父の姿を見ることしかできなかったのです。
担当医師に今度どうされますかと言われた際に、ドラマでみた光景が今現実に目の前でおきているのと同時に、父の今後を私が決めなければならないのかっと、何とも言えない気持ちでいたことを覚えております。
ただ父は日頃から「人生太く短く」っととにかく楽しければいいっと言っていたのを覚えていたので、最後は苦しまずにお願いできないですか?っと相談をし、そこで初めてターミナルケアの存在を知ることになりました。
時はコロナ全盛期、遺族と言えど面会は当然許されません。
父との連絡は常に電話で初めの頃はいつもの声が聞けて嬉しかったのですが、月日が経つにつれ、その声はか細くなっていきました。私は父が要望する物を持って行き、職員の方に渡すことしかできなかったのですが、その際に職員の方から父の状況をこと細かく伝えて頂き、感銘を受けました。
父が家に帰りたいっと言っていると伝えられたのはそんな時です。
医者・職員・家族で、どうにかして家に帰してあげられないかっと話し合いが続きました。
コロナでなければ、お昼は帰して、夜病院に戻ることができたのですが、時期が悪くそれができず、帰るなら24時間面倒をみなくてはならず、私は仕事、母は高齢で両膝が悪く、とても父の面倒をみることができず、結局最後まで病院でお世話になることになりました。
最後に死期が近いとのことで唯一面会が許された父の姿は私の知っている父とは程遠く、逞しかった父の腕も痩せ細っていました。私はその腕も擦りながら「本当に今までありがとう」っと、すると今まで涙を見せなかった父の瞳から初めて流した涙をみて、私は号泣しました。
父の気持ちはどんなんだったのでしょうか?初めは家に帰れずイライラしてたでしょう。
最後は生きてきて良かったと思ってくれたのでしょうか?
残されは私は、あの時(家に帰るチャンス)の後悔があり、当時の私に少しでも知識、技術があれば、思いでを残せたのかと思っております。
私はこの重度訪問介護を通じて利用者様の苦しみを少しでも支えたいと思っております。