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私はマーシーを嫌いになれない

私はマーシーを嫌いになれない

間傳介



先日、薬物依存と戦う田代まさしさんが、覚醒剤を使ったということで逮捕された。 このサイトでもよく取り上げられるNHKの『バリバラ』などのテレビ番組を始め、多くの機会で覚醒剤の恐怖を世に訴えていた。そんな最中での逮捕ではある。

しかしその逮捕と覚醒剤の使用によって、彼の言葉の価値が揺らぐことは微塵もない。「ああいう風に表に出て言ってる人がまたやっちゃうんじゃダメよねえ」なんて世間の声は相変わらずあるが、それは田代まさし(以下愛を込めて『マーシー』と呼ばせていただく)さんの言葉を、真に受け止めていない者の思考不徹底及び想像力不足に過ぎない。

彼はこれまで出演するテレビ等でこう発言していた。 「また(覚醒剤を)やりてえなあと思う気持ちは常にある。毎秒毎秒戦っている」と。

こんな過酷さがあなたの人生にあるだろうか。

偶々私たちはこれまでの人生に於いて覚醒剤と縁がなかっただけである。「そんな覚醒剤が手に入るような界隈に行かなければいい」と言う人もあるだろう。しかしテレビ、芸能界は、一枚めくれば先だっての吉本興業入江氏発端の一件を見るより古くから、そういった界隈との付き合いとは切っても切れない深い因縁がある。私たちが「アハハ」と何の気無しに無邪気に笑うテレビのすぐ後ろには、善良・無害を称して恥じない私たちの想像の及ばない環境とそこに棲まうことのみが選択し得た人々の生活があるのだ。

70年代に人気を博したピンクレディーのケイちゃんこと増田恵子さんも「ほとんど寝る暇はなくて、これが何の番組で、どこで流れてなんてあとで新聞のテレビ欄を見ても思い出せないぐらいだった」と語っているし、それが今のテレビ界とそう変わらないであろうことは想像に難くない。気風や習慣がそうそう変わるものではない。

私たちは常軌を逸した世界を日常的に無意識に取り込んでいるのだ。

画面上に映る人々の姿を、自分と重ね合わせ過ぎてはいけない。「解っている」のはごく一部だ。

「解った」「知っている」と思いたいのはしょうがない。何故なら人間は「わからない」という不安が苦手である。まして安心を旨とする茶の間では尚更、「今は不安に晒されている状況ではない」と人間が思い込みたいのは自然ではある。そう進化したのだ。不安から遠ざかることで種を長らえさせてきた。 不安状況にさらされているという自覚は確かに思考が働く。ということは脳のエネルギー消費量が爆発的に上がるということであり、身体を休めたいときにしたくない行為である。

無論「不安」は分析されてしまうと、幽霊の正体見たり枯れ尾花の言葉通り、あまりたいしたことではないか、それに見合う対処をできるだけする以外にないのだが、その点については割愛する。

話を元に戻すと、そういった不安や恐怖を、テレビから感じたくない。だからこそ既に「悪事」「事件」と分類された上で伝えられる「マーシーの覚醒剤使用。また」のような犯罪報道を、逆説的にというよりごく自然に私たちの脳は “安心材料として受け取る”のである。 線の向こう側の「マーシー」あらら、線のこちら側の私。よかった。と。

この人間の性質、癖自体を否定したいわけではない。否定してもこの反応自体は起こるものなのであり、内心の自由は脅かされるべきものではない。

私が切に願いたいのは、そのほとんど自動的に行われるその脊髄反射的思考が彼を「犯罪者」「間違ってる人」とレッテルを貼って、脳の中にある判断済みボックスに入れてしまう前に、「ちょっと待って」と、知性が声をかけ、 「彼の心はどんな風に今動いているだろう」「彼に笑わせてもらったことはなかったっけ」 「彼から学べるものはもっとないのだろうか」 「彼に私がしてあげられることは本当にないのか」 と脳を少しの間で構わない、不安定化させてみるのはどうだろうか。もしテレビがつまらないと思ったことがあるなら、その時間は作れるのではないだろうか。

1981年生まれの私の郷里では、小学校から帰った頃、『志村けんのだいじょぶだあ』を放送しており、そこでは志村扮するひとみ婆さんと、普通人としてのマーシーの掛け合いコントが流れていた。

番組が放送されていなければ別のものを見ていたかもしれないし、違う遊びをしていたかもしれない。 しかし私はあのとき確かにマーシーがいたことによって、“いてくれた”ことによって笑うことができたのであり、それによって幾分私の人生が豊かになったと思う。

覚醒剤の使用は犯罪であり、我が国が法治国家である以上、また、医学的見地から言っても覚醒剤は使用すべきでない。そんなことわかっているという人がもしいたら、覚醒剤を自分の毎日の習慣に置き換えてみてはどうだろうか。SNSを、お酒を、恋人と会うのを、辞めなければならないし、それを常に見張られているとしたら…?

家内が観ていた海外の刑務所ドキュメンタリーに強烈なセリフがあったのでここに紹介したい。

「善人や悪人がいるわけじゃなく、ただ人間がいるだけだ」

覚醒剤を使わせる側も使う側も、それを見ているのも、覚醒剤を知らない人も元はオギャーと生まれた子供に過ぎない。 覚醒剤依存の方の中には、落胆し、じゃあ自分もまたやろうかなという人もあるかもしれないが、反対に、マーシーの分まで頑張ろうと心に誓う人もおられることと思う。 休息のないマーシーの戦いは、縁起でもないがマーシーの生命が尽きるまで毎秒毎秒続いていくのだ。私たちの戦いなどせいぜい長くても10何年経てば一区切りついたりするものである。マーシーはこの度前回逮捕から数え約9年、秒数に直せば283,824,000秒中、1秒負けたのである。




間傳介 プロフィール

1981年、鹿児島県産まれ。
宇都宮大学教育学部国語科教育八年満期退学
「東京に行け」との高校の恩師の言葉を独自解釈し北関東に進学。
修辞学、哲学、文学、芸術、音楽、サブカルチャー等乱学。
効率、生産性ばかり喧伝する文化の痩せた世の中になった2008年ごろ、気づいた頃には相対的に無頼派となっており、覚悟し流れ流れて福祉業界に。
知的障害者支援、重度訪問介護、などに従事。
「能(よ)く生きる」ことを追求している。
友愛学園成人部職場会会長