「死」は残された人のものだと思う

綾部 清香

子供のころから、死に対して鈍感な自分がいた。

小3の時、仲が良かった友達が病気で亡くなった。
中1の時、小学校から仲良かった友達が亡くなった。
高校生のとき、自分を育ててくれたひいおばあちゃんが亡くなった。最後の言葉は「さやか」だった。
大人になって、無口だけど愛情を注いでくれたおじいちゃんが亡くなった。

私はいつも、周りと同じように悲しむことができなかった。
身内が亡くなった時は、それを悲しむ家族の気持ちを想像して泣いた。
自分が悲しいという感情はなかった。
初めて死というものに直面した小学生の時から、悲しめない自分がとても心なくひどい人間に思えて苦しかった。

この仕事を始めて、死と向き合ったとき、
私は初めて泣いた。

その感情の源は後悔だった。

その人が生きている間に、生きていける環境を作れなかったことへの後悔。
その環境は私だけでなく誰も作れなかったものだった。
その時の私は自分や土屋にできる精一杯のことをした。
それでも後悔したのは、土屋訪問介護事業所があと1年か2年早くできていたらこの人は生きていられたのにという事実。

「生」はその人自身のものだと思う。
私たちはそこに関わってはいるが、それをどう思うかは私たちの気持ちや努力に関係なく、
その人次第だと思う。

「死」は残された人のものだと思う。
残された私たちがいつも笑顔で見送れるような環境を作っていけたらと思う。

もう二度と後悔の涙は流したくないと思っている。




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