第17回 本当の意味での多様性とは
最近、新聞で高校野球の東東京大会のトーナメント表を目にした。実は、私の母校は都立高校ながら2回甲子園に出場している。この季節になると、在学中に2回も甲子園に応援に行った夢のような青春時代を、20年以上経った今も懐かしく思い出す。スポーツというものは、それだけ人の心を動かすということだろう。無観客だったのは残念だが、昨年の東京オリンピック・パラリンピックも記憶に新しい。
最近は学校に障害者やパラアスリートを招き、話を聞いたり一緒に競技をやってみたりする授業が行われている。その多くは、2000年頃から始まった総合的な学習の時間の中で、多様性や共に生きることへの理解を深めるねらいで実施されている。私は2008年から自身の生活や思いを語る講話や車椅子体験の講師を務めている。始めてから5年ほどの間は、パラアスリートの方とご一緒させていただく機会が何度かあった。アスリートの方々の動きはダイナミックで、子ども達へのメッセージはとても力強い。私にはできない授業を展開されているのを、うらやましい気持ちで見つめていた。
そういった授業はとても有意義な時間だと思うが、一部の学校がパラスポーツ体験だけで体験授業を終えてしまうのは残念なことだ。パラアスリートは障害者ではあるが、総じて身体能力が高くメンタルも強いゆえ、日常生活ではあまり困っていないように見えて当然である。それだけを見た子ども達が「障害者とは言っても元気で大丈夫なんだ」という誤解をしてしまってはもったいない。以前ご一緒したブラインドサッカーの選手の方も「僕らはこれだけ走り回れるけれど、他の視覚障害者はそうではない方がほとんど。みんな僕たちみたいに動けるとは思わないでほしい」とおっしゃっていた。私は、障害者との交流を通して、子ども達にはいわゆるマジョリティとマイノリティという対比だけでなく、マイノリティの中にも様々な人がいることを知ってほしい。それゆえ、小学生(主に4年生)向けの授業を引き受ける時は、担当する時間だけでなく単元全体のねらいと詳しい流れを確認する。もし交流する障害者が私だけだった場合は、他のゲストを呼んだり体験をしたりすることを勧めるようにしている。違う障害を抱えていればもちろん、私と同じ脳性麻痺の人であっても生活や思い、子ども達に伝えたいことは様々だ。それを知ることで、子ども達の理解はぐっと深まるのである。
そして、私の授業では後半に必ず子ども達とこんなやりとりをする。
(加藤)「(点字ブロックの写真をスライドで見せながら)みんな、これ何かな?」
(児童)「点字ブロック!」
(加藤)「そう、点字ブロックだね。この上を車椅子で通ったらどうなるかな?」
(児童)「ガタガタする!揺れる!」
(加藤)「うん、ガタガタするんです。けっこう揺れるから、車椅子を使っている人にとっては点字ブロックってない方がいいんです。じゃあ、とっちゃっていいかな?」
(児童)「えー!ダメ!!」
(加藤)「ダメ?なんでダメなの?」
(児童)「目の見えない人が困るから」
(加藤)「そうだね、視覚障害のある方には必要なものだよね。じゃあさ、これってどっちが正しいの??」
(児童)「・・・どっちも・・・?」
かなり誘導的ではあるが、このやりとりを通して、単純な「正誤」や「善悪」の軸では考えられない問題があることを子どもたちに知ってもらえたらと思っている。実際、視覚障害者と車椅子ユーザーの利害がぶつかる例は他にもある。車椅子ユーザーにとって道路は平らであることが望ましいが、横断歩道を含め、車道と歩道の間には必ず段差がある。しかし、視覚障害者はこの段差によって車道と歩道の境界を認識し、安全を確保している。このような課題にどう向き合えばいいのかと言えば、やはり話し合うしかないのである。その結果、車道と歩道の間に、視覚障害者が白杖や足裏の感覚で認識できるギリギリの高さである2~3cm程度の段差を残すこととなった。また、2001年に点字ブロックのJIS規格が制定され、過不足のない大きさのものが推奨されるようになった。私がよく利用する駅の点字ブロックが明らかに細くなった箇所があるが、視覚障害者へのわかりやすさと車椅子等の通行のしやすさの両立をねらっての改修だろう。
近年、より多様性のある社会を目指すべきだという声が多く聞かれるようになってきた。学校の授業に障害者との交流が取り入れられたのも、この流れを受けてのことだろう。しかし今の社会に、人々が様々な立場に分かれて自分達の主張をぶつけ合うことを多様性とする風潮はないだろうか。そして、主張を受け入れない相手は多様性を軽視しているゆえいくら非難してもよい、などという考えが蔓延っていないだろうか。そんな社会に、私は本当の意味での多様性を感じない。異なる立場の人の存在と意見を認めたうえで真摯に話し合い、知恵を出し合い、時に妥協しながら答えを探していくことこそ、多様性のある社会をつくるということだと私は思う。
私の授業内容は、試験で到達度を測れるようなものではないし、すぐに成果が表れるものでもない。それでも、子ども達がいつか「そういえば車椅子の人が学校に来て、きちんと話し合えって言ってたな」と少しでも思い出してくれたなら、それだけで大成功だと思っている。子ども達の学びと、これからの社会のために私の経験を役立てることができるなら、教員免許を持つ者としてこれほど嬉しいことはない。これからも毎回の授業を大切に、心をこめて語りかけていきたい。
加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。