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迷惑な草は何故あるか

迷惑な草は何故あるか

間傳介



夏の気配がいよいよ無視できなくなって参りましたが、エアコンのお掃除はお済みでしょうか。
しばらく使ってない場合は1時間送風にするとクリーニング効果があるそうです。お試しください。

さて、私の家の庭は、妻の祖父がサツキやらなにやら植えて、祖父の存命中は、まあそれは見事であったそうですが、亡くなって手入れをするものがいなくなり、もう10と幾年となりますと、お察しの通り風に運ばれて特に育てるつもりではなかった植物、巷間「雑草」と呼ばれる、愛玩の対象に概ねなれない植物が、栄えてくるのでありまして、我が家の庭は、そちらの種の植物の方達がそれはもう好き放題なさっておられるという体であります。

ズボラと博愛精神と文明嫌いが調和を成した私の価値判断は、
「各々の草、乃至樹木の方々が、この土地の気風によってそこになっておられるので、まあそれで正しく『景観』または『風情』と呼ぶべし」
というものでした。植物だけならまだよかったのですが、ポーッとしておりますと、まあそこに色々のザラザラに風化したプラスチック類、死を迎えた元・最先端家電、等があり、結果的に、簡単に言えば「やばいゾーン」となっておりました。

当家には2歳半と、年明け産まれたてホヤホヤのヤングが二名おりまして、奴ら幼児が 遊べるヤバさではないという意見が私たち夫婦の共通見解となりまして、童がホイッケン(保育園)等に出張っている隙を見計らい家内とえっちらおっちら片付けをしたのでありました。

ゴミとして出せるものはもう包んで出して、後を見ますと庭のまさに繁茂というのがすごいわけでして、お茶にして隣両五軒ぐらい全員に嫌な顔されるてなお余るぐらいのどくだみは生えておるし、「昔な、そうあの頃はジュラ紀という時代じゃった」と言えるぐらいの羊歯、羊歯、羊歯の、もう山村暮鳥が「いちめんのしだのは」と詩を書くぐらいの羊歯があるわけでして。

それを先述のズボ博文嫌精神では、もうオッケーいいじゃんこれで。と思ったのも束の間、先日祖父母の代に付き合いのあったおじさん訪れて曰く、「スズメバチが寄ってくる草が生えてるからそれはとった方がいい」とのこと。どおりでここに越してきてから毎年スズメバチの巣を見るわけだと思いました。二回刺されると概ね死にますからね、高リスク住宅だったわけですよね。私の血縁でも一人そうして死んだ者がありました。

さてこのスズメバチが寄ってくる草、その名をば「ヤブカラシ」と言うんだそう。
めんどくさいことこの上ないやつです。ちょっと見てみたら庭のあちらこちらに生えており、抜こうとしても地上でも4、5メートル横に這っているのはザラで、詳しくはこちらをご覧ください。

https://ameblo.jp/chuou1/entry-12076805139.html
https://www.google.com/amp/s/gamp.ameblo.jp/chuou1/entry-12076805139.html

ヤブカラシ、地下茎まで根こそぎ引っこ抜いて食塩水を撒くという、植物にとっては地獄のような除去方法もあるものの、こちらで紹介されている手法は、ヤブカラシ自身に

もう役目を終えた

と思わせることで、ヤブカラシ自ら身を引くように差し向けるというもの。
ヤブカラシは別段勝手に生えているだけで、たまさか人間が嫌う昆虫であるスズメバチを引き寄せるというだけです。それも彼らヤブカラシやスズメバチの種の繁栄にはむしろ好都合なわけです。スズメバチと人間の相性が良くないがために、敵の味方は敵というような相関関係で人間とヤブカラシは「みなしの敵」同志の関係と言えるわけです。

ふとこれを人間社会に映して考えてみますと、よくいうところの“ムラ社会”と村八分の関係、思春期によくあるいじめの構造などと類似性を感じます。無論似ていない部分もありますが。
村八分もいじめも、実は迫害する側は彼らなりの正当性を持ってやっています。外から見ればバカみたいな論理であったりしても、彼らは彼らなりの切実さを持ってそれを行うわけです。

村八分の理由として火事を出したら村八分というのがよく聞かれます。しかし昔火を出したことを誰もが知る法隆寺や金閣寺、ノートルダム大聖堂が、むしろ憐憫の対象にこそなれ、村八分になったという話は聞きません。

火事を出す可能性は、火、エネルギーを使って生活する以上誰にでもゼロではありません。皆気を使っているから、「火事を出す=気が抜けた=罪←罰する必要あり」ということなのでしょう。

何故寺社仏閣は蔑視されなかったのでしょう。

法隆寺も金閣もノートルダム大聖堂も、燃えて然るべきだったのではないかとさえ思います。キリストもブッダも、偶像崇拝を厳に禁じています。本当はあんな物立てる方が悪いんじゃないでしょうか。

二人とも弟子や周りの人々とひたすらおしゃべりをしたりしていただけです。その寺社仏閣やそれに類する物を欲するすなわち格に縋りたくなる心こそ本当の悟りから自分を遠ざける動きであると言えます。

さて、ヤブカラシ。実はまだ我が家の庭に生えています。
私はより適切な知恵を、子どもたちには得てほしいし、もとより、私も得たいと思っています。

スズメバチに刺されてアナフィラキシーショックを起こすことは恐ろしいですが、スズメバチを過剰に恐れるということは、読んで字の如く「過剰」なわけで、やらなくていいことをやっている時間は勿体無いのです。
現在ミツバチが絶滅しかけて、植物の自然交配が減少しているように、スズメバチもいなくなって初めて気付く彼らの役割もあるのかも知れません。


間傳介 プロフィール
1981年、鹿児島県産まれ。
宇都宮大学教育学部国語科教育八年満期退学
「東京に行け」との高校の恩師の言葉を独自解釈し北関東に進学。
修辞学、哲学、文学、芸術、音楽、サブカルチャー等乱学。
効率、生産性ばかり喧伝する文化の痩せた世の中になった2008年ごろ、気づいた頃には相対的に無頼派となっており、覚悟し流れ流れて福祉業界に。
知的障害者支援、重度訪問介護、などに従事。
「能(よ)く生きる」ことを追求している。
友愛学園成人部職場会会長