当事者たちと一緒に

小松彩那

私は学生時代から今まで飲食業の経験しかなく、前職も父の経営するパン屋であまり人と接することなく仕事をしてきました。もともと親戚や友達も多いほうではなく、自分はずっとこの閉鎖空間にいていいのかと思い、実家を出たこのタイミングでの転職を決意しました。しかしいざ職を探すとなった時、自分には何か特技や資格を持っているわけでもなければ社会経験もそこまで多くはなかったので、それならばと今まで生きてきた上で何か印象に残っている出来事や時期を思い出してみることからはじまりました。

両親が共働きだったので高校生までは脳梗塞で左半身麻痺の祖母を介護をしながら、発達障害(ADHD)をもっている弟の面倒を見ていたことが真っ先に頭に思い浮かびました。

最近ではヤングケアラーという言葉も少しずつではありますが世に広まってきて若い世代で介護をする方も多くいらっしゃいますし、ご家族に発達障害を持つ方もよく見かけますが。

なかなかその両者を同時にもつ経験がある人は少ないのではと思い、面接を受けてみることに決めました。

今現在は両親共々仕事が忙しくなり、私が就職することもあり面倒が見きれないということで祖母には施設に入ってもらっています。

半身麻痺なので寝たきり状態の方と比べればさほど介護は大変ではありませんでしたが、それでもうまく身体が動かせないことによる不満やストレスからか私や弟に当たるような場面もありました。弟も持病から感情のコントロールが難しいことによって反発し、暴れ出すということが日常茶飯事でした。当時は私自身未熟だったので、受け止めきることも難しくうつ状態になりかけたこともありました。

その頃にヘルパーさんを雇った時期があり、ヘルパーさんが一日の中で短時間でもいてくれることで身体的にも精神的にもとても救われる部分がありました。障害を持つ方はもちろんですが、そういった方をご家族に持つ方の力になることができる仕事なんだ!と気が付いたと同時に魅力を感じ、今度は私が困っている人たちを助けたい強く思いました。

今回の転職の原点になっているように思います。

後日談にはなりますが、発達障害は親から遺伝することもあるという説を母が耳にした際に私も医療機関でテストを受けてみたところ
「軽度の発達障害ですね。もう少し点数が悪ければ障害者手帳を取得できるレベルでしたよ。」
と言われました。

そうは言われたものの仕事や人間関係を築くうえで若干の違和感を感じたことはありましたが、発達障害というワードを出された時にあまりショックは受けませんでした。
むしろグレーゾーンであるとはいえ、病名がついたことで「そのせいだったんだ」と気持ちが楽になりました。

自分が当事者だからこそ、これからこの仕事をしていく上で役立つ場面があるのではないかと期待を膨らませています。
もちろんつまずくこともあるとは思いますがそんな時にこそ当時のことを思い出し、ひとつずつ乗り越えていけたら、更なる自身の成長に繋がっていくのかなと思います。

一生懸命頑張りますので、どうぞ宜しくお願い致します!

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