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「稀有な共生家族を生きてきた節目に 〜“苦の中の未来”によせて〜」

「稀有な共生家族を生きてきた節目に 〜“苦の中の未来”によせて〜」

石丸偉丈



私は今、46歳だが、23歳になった娘がいる。
私が23歳の時に授かった娘であり、
その同じ年齢を今、娘が迎えたことに幾ばくかの感慨を覚える。

娘の名前は安積宇宙(あさかうみ)。「宇宙」と書いて「うみ」と読む。
骨が弱い障害を持ち、これまで15〜6回の骨折を経験してきた。
「骨形成不全症」という障害名で、遺伝の確率が2分の1。
母と同じ障害を持っている。

娘の母である安積遊歩(あさかゆうほ)は、
障害者運動の世界や、福祉関連ではそこそこ知られた名だ。
骨形成不全症で、
安積も20回以上の骨折を経験してきた。

小さい頃に、
大腿骨を複数箇所切ってステンレスのバーを出し入れする過酷な手術を繰り返し受けたり、
効果が極めて疑問の男性ホルモン注射を幼少期に頻繁に受けてきたりした。
その他、医療のみならぬ、
様々な痛みや苦しみの経験が、
後に、障害者運動の旗手の一人として彼女を駆り立てる原動力になったと言える。

その生き様は、「癒しのセクシートリップ」「車イスからの宣戦布告」(共に太郎次郎社刊)や、
「多様性のレッスン」(娘と共著)、「自分がきらいなあなたへ」(共にミツイパブリッシング刊)に詳しい。

その激しい痛みからのトラウマや、
そこから生み出された苛烈さは、連れ合いである私にも時に刃となり、
生活の中で様々な火花を散らしてきた。

安積が40歳の時に、娘宇宙を授かった。
安積は骨が弱く、高年齢で、身長100cmの体での初産。
文字通り命がけの出産であった。

私は当時、大学卒業を迎えたばかりの若者で、
社会的経験値は貧弱。
16〜7歳年上の安積との間のパートナーシップは、
あり得ないはずの彼女の妊娠によって、
急転直下の激しい主夫修行の現場と化した。

自宅生で母の家事に甘えて育った私は、
家事能力がほぼゼロ。
その“使えない男”を、如何にして子育てのパートナーに育てるかが、
安積の極めて重要な課題となった。

苦節5年、
家事のことで安積から怒鳴られず、どやされない日々は無かった。
ある日、北海道に家族で訪れ、友人宅でふと空を眺めると、
「あれ?昨日は家事のことで怒られなかったぞ」と思い至り、
涙が溢れてきたこともあった(笑)。
今となっては遠い記憶であり、過ぎ去れば、ディテールも思い出し難い。

ただ、「5年目に初めて、家事のことでどやされない日があった」というだけで、
その後も10年近く、私の主夫修行は続いた。

「家事・育児・介助」が私の苛烈な日常であり、
猛烈なトレーナーの下での兼業主夫として、様々な辛酸を舐めた。
思えば随分鍛えられたものだ。

私は今、ここユースタイルラボラトリー・土屋訪問介護事業所で、
システムエンジニアとして働いている。
当時の兼業主夫の仕事の一つとして、
Webサイト構築や、システム構築の仕事に長年取り組み、
その経験とケア領域の経験の両方を生かした形だ。

ユースタイルラボラトリーは、2019年夏現在で、全国に数十箇所の訪問介護事業所を稼働させ、
「全ての必要な人に、必要なケアを」という理念を掲げて、事業展開している。

そのバックボーンの一つに、社内システムがあり、
その開発やメンテナンスに、チームで日々取り組んでいる。

今私は、介助(介護)の現場にいない。
しかし、現場で働くスタッフの方々、サービスを受けられる当事者の方やご家族の方のことが、
私には根底で、ある種の深い連帯感を持って感じられている。
もちろん、それぞれの方々のことを全てわかるはずもないし、
いつもそんな熱いことを思っているわけでもないが。

ある種、天職のような現場に合流できて、
全国の素晴らしいスタッフと共に、サービス提供の一端を担えていることに誇りを感じる。

かつて私は、本当に多くの人の支えの中で、
娘を育ててきた。
本当に数え切れないほど多くの、大事な友人や介助者の方々の手がなければ、
私や安積は確実に破滅を迎え、
また、娘も幸せに育つことは難しかっただろう。

安積とは、10数年の激しいバトルの日々を経て、
紆余曲折の末、話し合って、別々の道を歩くことにした。
その日々のことを語れば、どう考えても一冊の本にも収まらない分量であり、
また、語り難きこともある。
彼女は前述したように、太郎次郎社やミツイパブリッシング他から数冊の本を出し、
私のことも様々に書かれている。
私の側からの本を出す話も、幾たびかあったが、
機は熟していなかった。

ぐるりと一周巡ったように、
今年娘の宇宙が、彼女を迎えた当時の私と同じ年齢になった。
ある種の機が熟してきたことを、今は感じる。

先日、NHKのハートネットTVで、娘と安積が中心となった番組が放映された。
「母から娘へ~いのちと尊厳のバトン~」というタイトルであったが、
この20数年の悲喜こもごもの様々が凝縮された感慨深い番組となっていた。
https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/heart-net/1083/

出産について、私の両親から非常に強く反対を受けていたが、
母が番組の中で「私が差別の先頭に立っていた」と絞り出すように語っていたことに、
流れた時の重さを感じる。

出演者の一人である私が言うのも何だが、
非常に良い番組であったので、オンデマンドなどで再放送されることがあれば、
いつかぜひご覧いただきたい。

娘が生まれる前から10数年は試練の連続だったが、
小さい頃から今に至るまで、幸せそうに快活に生きる娘を見ると、
頑張ってきた甲斐もあったものだと思う。

番組を見て、何か一区切りついたような機を覚えたので、
この身に刻まれてきた体験の、語りあぐねてきた様々なることを、
これからこの場を借りて、書かせていただくこととなった。
どうぞ宜しくお願い致します。


今は袂を分かち、
共にあることはなくなったけれど、
私に激しい試練と、この上ない成長と充実の機会をくれたかつてのパートナー安積遊歩に、
この場を借りて、感謝を伝えたい。

私は現在、別のパートナーと、ステップドーターと猫と共に暮らし、
宇宙はニュージーランドの大学に学び、
安積は北海道の地に住む。

今はそれぞれの道を歩む中で、
人類史上稀有な社会実験であったような家族のカタチは変わりつつも、
そこで培われたものは消えていない。

苦の中に未来があった。
時を経た静かな気持ちでそう思う。

一人語り全開で、
自己満足に聞こえたら恐縮ですが、
ちょっとありえない経験から見えてきた世界と、
悲喜こもごもの「共に生きる現場」から得てきた教訓など、
これから様々に書かせていただくので、
ご高覧下さいますよう、お願い申し上げます。

私の名前は石丸偉丈(いしまるひでたけ)と申します。
以後、お見知り置きの程、よろしくお願い致します。



【略歴】
1972年神戸生まれ。早稲田大学第一文学部卒。在学中に障害者運動の旗手の一人である安積遊歩と出会い、卒業後すぐに安積と同じ骨の弱い障害を持つ愛娘宇宙(うみ)を授かる。猛烈な家事育児介助とパートナーシップの日々は、「車イスからの宣戦布告」「女に選ばれる男たち」(共に太郎次郎社刊)に詳しい。資格持ちヘルパーとして長年介助の仕事をしながら、フリースクール運営や、Webサイト作成・システム構築業に従事。2011年の東日本大震災・原発事故以降は、「こどもみらい測定所」代表、全国の測定所のネットワークの「みんなのデータサイト」事務局長・共同代表を務め、放射能測定・対策活動に奔走。2018年初頭からユースタイルラボラトリー・土屋訪問介護事業所の社内システムエンジニアとなり、長いケア領域の経験とWeb関連技術のスキルを生かして活動中。安積とは紆余曲折の末パートナーシップを解消し、今は新家族と猫と暮らす日々。