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土屋のミッションと良い支援(公募コンクール入選作品)

土屋のミッションと良い支援(公募コンクール入選作品)

黒田聖子(兵庫エリア スタッフ)




介助者は「良い支援」を追い求める必要があるし、利用する側もそれを求める。社会もそれを期待する。世界が人で成り立っている以上、誰もが「良い支援」を求めている事になるが、明確な答えはない。きっとこの「良い支援」探しには終わりがないし、むしろ絶えず更新されていく方が良いのだろう。

「良い支援」とは何か。まず「良い」と「支援」を分けてみる。あくまで私個人の解釈ではあるが、参考にしてもらえれば僥倖である。

「良い」とは、安心・安全・安楽であり、より生活の質が向上するような意味合いであると捉える。心身ともに充実した状態や、それに近づくような段階に至る、ということではないだろうか。

「支援」とは生活支援のことである。生活支援とは、ある利用者の言葉を借りると、衣食住のさらに下にあるものである。最低限の衣食住の上に、余剰として乗っているのではなく、根源的に生きていく上で必要であるということだ。

こうして見ると、「支援」は生命維持や生活する上で必要なことであり、具体化できる。つまりできているかいないかもわかりやすい。何をすれば良いのかもわかりやすい。

「良い」にもそうした部分はあるが、感情面が入ってくるため途端に抽象的になる。基準が曖昧になるのだ。強いて言えば満足感や安心感を得られるか否か、とも表現できるだろうが、結局は主観でしか判断できないし結果論になる。こうすればこう感じるであろう、という推測はできても、それに当てはまらないことも多い。

つまりこの「良い」がくせ者なのだ。頂上の見えない山であり宇宙である。つかみ所がなく、でも確かに存在している。探し歩くが見つけにくいので、酷く大事になりやすい。

慣れと経験で徐々に「良い」ことをつかめるようにはなるだろうし、時間がかかるのも確かだろうが、より早く、確実に、誰に対してもその人の「良い」をつかめるようになりたいと思ったら、「良い」の核を見つける必要があると私は思う。

私が見つけた「良い」の核は、「納得」である。重度訪問介護という仕事に携わるようになり感じたのは、利用者が「納得」を強く求めているということだった。正解か不正解かというよりも、納得できるかできないか。納得できるということは受け入れられるということだ。利用者が介助者の意図を理解し「納得」し、介助者も利用者の気持ちを理解し「納得」できた時、初めてお互いに安心感や満足感を得られるのだと思う。

「良い」は結果であり、「納得」は創造と言える。「納得」は目の前の相手と向き合えば創れる。地道ではあるが汎用性も確実性も高い。当たり前といえば当たり前なのだが、茫漠とした「良い」を探し歩くより、目の前の「納得」を創り出すことに注力する方が、「良い支援」への近道ではないだろうか。