さいたまの菅野です。
今回のテーマは「よきリーダー」です。
自分がまだ良きリーダーになってないのにそれを語っていいものか、自問自答しながら書かせていただいてます。
職場での私はともかく、家庭内では親というリーダーを長年努めています。
娘が小さい時はただただ次の行動の指示を出し、危険やリスクから遠ざけ、守ることに徹していました。自我が目覚めてからは反発はあるものの、まだまだ親は絶対的な地位にあり、違うかなと心では思っていても逆らうこともままならず、親のいう事に従わざるを得ない状況だったと思います。
ですが、これがそう上手くいかなくなった時期がありました。
当たり前ですが娘が成長したのです。
中学生になり、高校生になり、知恵も知識もつき発言も達者になりました。
私は逆に観察をされ、分析をされはじめました。まず他の家の親と比べられます。娘たちは筋の通ってない事は納得もしないし従いません。親が全面的に前に出る事も拒否されます。指示をうっかり誤れば非難轟轟です。
自分の事を棚に上げて他人の事を言えば呆れられます。感情的になって話せば冷淡な目で見られるだけです。
それでも娘たちからは親として求められ必要なときに頼りにされました。
問題を解決できないとき、人間関係に悩んだとき、壁にぶち当たったとき、大きな選択をしなければならないときなど、私に意見を求めそれを元に自ら考え娘たちは成長していきました。
そして最近、大学生の娘には「すごく怖いけどすごく頼りになる。」と言われました。
「すごく怖いけど…」は余計ですが「頼りになる」は大きな評価をいただいたと思っています。
彼女達からしてみれば私は親であり家庭という小さな社会でのリーダーでした。
リーダーに求められるものを長い時間をかけて私は学ばせてもらった気がします。
状況や段階に於いて指示を出さなければならないこと。ある程度成長したら信頼し見守ること。危なっかしくても無駄だと思える事でも本人の気持ちを大事にすること。そして失敗したらそこから学びとる事を教えること。いつでもどんな時でも絶対的味方だと安心感を与えること。
そのことを子育てを通し学んだ経緯も順調でなく、リーダーとして失敗と挫折を重ね、またその私を受け入れてもらい再びリーダーとして認めてもらうまで紆余曲折でした。
それは私に限ったことではなく、きっとどこの親もそうだと思います。
家庭という小さなコミュニティと大きな社会とでは比べ物にならないと思いますが、子育てと人育ては似ているなと仕事を通して感じています。
全ての指示を出していたら自ら考えるのをやめてしまう。逆に全く指示を出さなければ方向性を失ってしまう。信じてやらねば自信を持てなくなってしまう。必要なときに必要なことを必要なだけ頼りにしてもらい、あとは脇役に徹する裏方のサポートでいいのかなと思っています。
ただしリーダーも一人の人間であり、間違えることも失敗もあります。リーダーも周りのスタッフから育てられ成長するものだと思っています。
いつかチームメンバーに「頼りになる」と言われることを目指して日々精進したいと思います。