亡き父に

佐々木大地


私を福祉の世界に導いたのは、今は亡き父の存在でした。
肺気腫に胆管炎を患い入院中に余命幾ばくも無いと宣告された父を見て、少しでも自分に出来る事は無いのか考え、今の初任者研修にあたるヘルパー2級の資格を取りました。
実は父とは価値観が合わず(今、思えば合わないと決めつけてしまっていたのでしょう)、家を出てからはずっと距離を置いて生きていました。ただ、それでも父を憎んでいたわけでも嫌っていたわけでもなく、ただ価値観の違いからくる衝突を避けたいが故にの行動だったと思います。だからこそ、父が弱りきってしまった時に、離れてしまった距離を縮めたいと無意識思ったのかもしれません。

当初、自覚していた気持ちは、弱ってしまった父の助けに少しでもなりたいと言う気持ちでの行動でしたが、思い返せばこのことで、自分の方が救われたのですから、無意識に父との和解を望んでいたのだと思います。
少し話は戻りますが、それまでの自分は将来の漠然とした不安を抱えながらも、特に目指す物があるわけでもなく、根無し草のような生活を送っていました。誰を頼りにするわけでもなく、誰に頼られるわけでもなく、日々その日その日を消化していくだけの毎日。嫌になる事もありましたが、それと同じくらい何も無い毎日と言うのは心地良い部分があるもので、ぬるま湯に浸かったようなふわふわとした生活が染み付きかけていました。

そんな折での父の余命宣告です。

もしかしたら父が真っ当な人生のレールから外れてしまった私を引き戻そうとしたのかもしれません。
…と言えばそれらしく聞こえると思いますが、実際は偶然だと思います(笑)
ですが、実際に資格を取り父の介助をする事で、父のこれ迄の人生や想いをほんの少しかもしませんが垣間見る事ができ、私の気持ちは変わった事は紛れもない事実です。
特に長い会話をするわけでもなく、無理をして距離を詰めるわけでもなく、ただ父が少しでも安楽になればと、その想いだけで接する介護でした。
(そして、父を看取る際、私は自然に泣く事が出来ました)
文字通り放蕩息子だった私ですが、その時、始めて資格を取って父の介助が出来て良かったと思いました。
ろくに親孝行など出来なかったので、今でも後悔ばかりですが、この経験で人の為に何かする事の大事さを身を持って学び、また残された母を守らなければと言う思いを強くしてくれたと思うと、父に感謝しかありません。

どんな仕事も大変な部分があると思いますが、看護、介護、介助もとても難しい仕事です。技術だけでも心だけでも、良い結果は出ません。
まして仕事として社会全体に認知されるにはまだまだ、国の制度も政策も未熟で、ともすれば大きくボランティア精神に偏った仕事だと思われています。
そんな仕事を父が亡くなった後十数年に渡り今でも続けているのは、必要な人に必要な助けを届けることの大事さを実感させてくれた父との思い出と、今、現在進行形で介護業界全体を変えていこう!革命を起こそうと奮起するユースタイルラボラトリーではないかと思っています。
若手不足と言われる業界では、ともすれば40代半ばの私でも若手になってしまうこともありますが、今後は、自分の更なる成長も含め、もっともっと若い人材が活躍し誇りと自信を持って働いていける環境を作っていけるように頑張りたいと思います。

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