はじめの動機は不純だけれど…

小林舞衣


私が初めて介護の道を目指そうと思ったのは18歳、高校も卒業の年のこと。
今の自分に何が出来るだろう…と将来の事を考え、行き着いたのは、『自分の家族の面倒を将来見れる人間になろう』でした。

女手ひとつで私を育ててくれた母、母が仕事で家を空ける時面倒を見てくれた祖父母。一人っ子の私が出来ることは、将来自分の家族が介護を必要になったときのために知識と技術を得ることだと思った私は、就職を望む母を説得し介護の専門学校に入学することを決めました。

専門学校に入学してしばらくは苦労の連続でした。
医学の授業は難しくて睡魔と闘う毎日、
おむつを体験する事の恥ずかしさと抵抗感、、
目の見えない人に目の前にあるものを伝える難しさ、、、
それでも毎日とても充実していました。

そして、進級がかかった実習の前日…
車を運転中突然追突された私は頚椎を捻挫…
全治2ヶ月。

「実習は不可能ね…」担任の先生に言われた一言に初めは理解が出来ませんでした。
実習できないって…進級は?私みんなと2年生になれないの?と同じことが頭をぐるぐる。突き付けられた現実は留年もしくは自主退学。
奨学金で通っていた私はこのまま通い続けたいとは言えず専門学校を中退することにしました。

悔しくて悲しくて…いつしか介護の道を目指すことを諦めてしまっていました…。


それから十数年…。
首の痛みもすっかり治まり、介護とは違う職種をいくつか経験し、このまま介護とは違う道を歩んでいくのかな…と思っていた時、うちの祖母が風邪をこじらせたような症状で救急搬送。
数時間検査を繰り返し出た検査結果は、細菌性肺炎。
かなり弱ってしまっていた祖母はそのまま緊急入院。
しばらくはベッドから起き上がることも出来ず、食事もままならない日々を送っていました。
毎日うわ言で、「○○(母)に会いたい…△△(私の愛犬)に会いたい…」と言い、母が見舞いに来ると嬉しそうにし、帰るとなると子供のように泣き母を困らせ、一人でトイレに行くことも出来なかった祖母は強制的にオムツを履くことに。
履き慣れていない祖母は少しでも汚れると看護師さんを呼び、忙しい看護師さんになかなか替えてもらえないことがだんだんとストレスになってきてしまっていました。
そして、その時の祖母の状況を祖母の息子(私の叔父にあたる人)に報告する旨を伝えると、「こんな姿□□(叔父)には見られたくない…」と大泣きする始末。みかねた私はにわか知識で自らオムツを替えることにしました。私に替えてもらったあとの祖母の嬉しそうな顔。
弱っている姿を自分の息子にすら見せたくないと泣く姿。
きっとそう思っているのは祖母だけじゃない。
そんな時私に出来ることは…?
…『将来そんな人たちのお世話を出来る人間になろう…』
私がまた、介護の道を歩んでいこうと思えた瞬間でした。
そして、そんな私の背中を押してくれたのは祖母の存在でした。

そして現在…。
私は『全ての必要な人に必要なケアを』を理念とするこの会社で重度訪問介護という仕事をしています。

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