「樹(き)のように水のように生きる」

並木 紀子


第3回 2023,1月
告知前後の事①

私がALSと告知されたのは、2009年でした。
しかし、具合が悪くなりはじめたのは、その3年前からでした。
まず、手の力が弱くなり、ペットボトルのフタが開けられなくなりました。
友人達に言ったところ、
「あら、私もよ」
「私もそうなの」
「年取ると、みんなそうなるのよ」と、口々に答えるのでした。
「そんなものなんだなぁ」と納得したのですが、他にも症状が出て来ました。
左肩の肩甲骨の内側が痛くてたまらないのです。
ズーンとした痛みが昼夜を問わず続くので、家事をする時にはフランスパンの長いビニール袋の中に温タオルを入れて、背中にくくりつけていました。
ある日友人が訪ねて来て、それを見て笑いながら
「そんな事してたら、よけい肩が凝るわよ。お医者に行ったら?」と言いました。

そこで、近所の整形外科に行きました。
医師は首のレントゲンを撮って、それを見ながら
「頚椎の一部が出っぱっていますね。それが原因でしょう。首のけん引をして温めましょう。
毎日来てください」と言いました。
翌日、初めて首のけん引をされたら、直後にとても気分が悪くなってしまいました。
そこで首のけん引は止めて、電波で温めるだけにしてもらい、毎日通いました。

その間にも症状はどんどん進んで行きました。
ボタンをはめるのが難しくなり、傘が開けなくなりました。
そのころ私は、小学校の図書室のアルバイトをしていました。
引き受けた以上、年度末まで続けたかったので、無理しながら勤めました。
当時、長男と三男は家を出て一人暮らしをしていたので、一人だけ家に居た次男に、とても世話になりました。
朝出かける前にコートのボタンをはめてもらい、雨が降っていたら傘を開いてもらいます。
歩いて20分の最寄り駅に着いたら、無理矢理傘を閉めます。
目的地の駅から小学校までは5分とかからないので、濡れたまま走って行きます。
もし帰りにも雨が止まなかったら、最寄り駅に着いたところで親切そうな人を捜して、傘を開いてもらいます。
誰も居ない時にはあきらめて濡れて歩きます。
見た人は不思議に思ったでしょうね。
「あの人、傘を持ってるのにどうしてささないんだろう?」って。

その内、脚も弱って来ました。
ある日図書室で、1番下の棚に本を数冊入れようとしてしゃがんだら、尻餅をついてしまいました。
立ち上がろうとしても立ち上がる事が出来ません。
子ども達に助けてもらって、やっと立ち上がれました。
また、電車の中でも同じような事がありました。
電車のちょっとした揺れに堪えられず、尻餅をついてしまい、周りの乗客に助けてもらいました。

ここに至って、のんきな私もやっと何か変だと思いはじめました。
やっと三月末になった時、校長に挨拶に行って言いました。
「少し体調が悪いので、半年程休ませてください。
下半期になったら、また雇ってくださいね」と。
半年位で治ると信じていたのです。

近くで大きな病院といえば杏林大学附属病院なので、予約のため電話しました。
症状を言って、何科を受診すればいいのか聞くと、脳神経内科と言われました。
当日は、夫も付いて来てくれました。
医師が言うことには
「運動ニューロン症の疑いがありますので、専門病院に紹介状を書きましょう。
国立病院と都立病院がありますが、どちらがいいですか?」
場所を聞くと都立病院の方が近かったので、都立府中病院(現在の多摩総合医療センター)に紹介状を書いてもらいました。

都立府中病院に電話したのが金曜日でした。
受付の人が
「初診の医師がこれからの主治医になりますが、いいですか?」と聞きました。
私は、誰でもいいから早く診てほしいと思って
「それでけっこうです。月曜日にお願いします」と答えました。
月曜日に予約して、都立府中病院に行きました。
初診の医師は、サラサラした髪が素敵な若い男性でした。
その方が今でもお世話になっている、平井先生です。
もし他の曜日に行っていたら、平井先生に主治医になっていただけなかったでしょう。
そう思うと、運命というものを信じざるを得ません!
私は本当にラッキーでした。

平井先生は
「僕の指を見つめていてください」と言って人差し指を左右に動かし、私の目の動きを観たり、
「口を開けて舌を左右に動かしてください」と言って、舌の動きを観たりしました。
それから、脚をあちこち棒で軽く叩き、反応を観ました。
そして
「詳しく検査する必要がありますので、入院してください。
 入院してもらうところは、ここではなく隣の神経病院です。
 ベッドが空くまで1カ月ほど待ってください。
 こちらから連絡しますので」と、おっしゃいました。
診察の様子や先生の表情から、
「これは軽く考えていたのが間違いだった」と悟り、身の引き締まる思いでした。

それからの事は、次回をお楽しみに!


冬枯れに 南天の実のみ 朱(あか)きかな


並木紀子(なみきのりこ) 1951年生まれ。2009年に進行性難病のALSの診断を受け、現在は人工呼吸器をつけ重度訪問介護サービスを24時間利用しながら生活を送っている。
2018年に絵本を自費出版。

https://www.youtube.com/watch?v=q3DQ84quLPM


「体は不自由でも 心は自由です。空を飛びます。風を切って走ります。楽しい歌を歌います。あなたへ 言葉を送ります。のりこさんの 声を聴いてください。」
推薦文より

訪問介護サービス
新規のご依頼はこちら

介護スタッフ
求人応募はこちら

当事者コラム