利用者・加藤拓の経験”知”

加藤 拓


第28回 持ち物から見えてくる人の背景

病院の帰りや仕事終わりに私がひとりで移動しているとき、たまに家の近くにある父の墓に寄ることがある。月命日などはあまり気にせず、時間が空いたときにフラッと行くのが私のスタイルだ。
近況報告と引き続きよろしくと伝えて帰るから、墓の前にいるのはものの5分程度だろう。それでも私にとって、心を鎮めて少しだけ父を思い出す、大切な時間である。
父の唯一の(と言ってもいい)趣味は車だった。こまめに洗車していたことや、車内を綺麗に保つよう母と私に口酸っぱく言っていたことを、今でも懐かしく思い出す。
父の運転で色々なところに出かけたものだ。残念ながら私が運転免許を取ることはできないが、父から運転の感覚を教わることはあった。それは、私が電動車椅子を使うようになったからである。

今まで3台の電動車椅子を使ってきたが、それぞれに思い入れがある。“1号機”は大学進学を機に利用を始めた。一般的に電動車椅子の耐用年数は6年のため、ちょうど学部と修士合わせて6年間、学生生活をともに過ごしたことになる。初めての電動車椅子だったため、オプションで姿勢を維持するためのパーツやベルトを多く取り付けた。
大学1年の初めの半年は通学には使わず、週末に父とよく散歩に出かけて繰り返し練習した。父の指導は厳しく、少しでも物や父の体にぶつかると強く指摘されたものだった。「(操作レバーを)切るのが早い!車椅子は思ったより小回りが利くから余裕を持って曲がるんだ」とか「運転は体で覚えろ、回数をこなすしかないぞ」とか、さながら教習所である。
父としても、息子に技術を教えるのが楽しかったのかもしれない。大学1年の後期から本格的に使い始め、友人の足を踏んだことは数えきれないが、学内の移動や通学を1人でもできるようになったことで、家族の生活に余裕が生まれた(いつも笑って許してくれた友人達には心から感謝している)。教育実習のときに、あまりの疲れからか“居眠り運転“というかなり危険なことをしてしまったこともあったが、総じて友人達とともに目標に向かって進んだいい思い出がある。

“2号機”は大学院修了後から使い始めた。この6年間は、自分の話を聞いてもらえる場所を求めて、地元の学校をはじめ様々な場所に出かけた。まさに、私の下積み時代と言える。
少しずつ仕事が増えて、慣れない場所にいく機会が増えてくることを見越して座面が上下できるものを選び、トイレの際などの乗り込みやすさを重視した。何もしなければ社会の中で役割を担うことはできないという危機感を持ち、自分の学びや経験を伝えることで社会に還元するという、私の軸となる考え方を固め、活動するスタイルの原型を作り上げた時期だった。
その時にともに出かけた車椅子として今でも強く印象に残っており、今まで使ってきた3台の中では最も思い入れが強い。そして、“3号機”が今使っている車椅子である。
2014年に頸椎椎間板ヘルニアを発症し、その治療とリハビリがきっかけで作成したものだ。それゆえ、よりよい姿勢で操作でき、かつ体への負担を軽減できるよう、リクライニングやチルトができるものを選んだ。今の仲間と出会い、ともに活動を続けていく時間をこの車椅子とともに過ごしている。
仕事が増えて車椅子に乗っている時間が長くなったため、これらの機能は重宝している。加藤といえばこの車椅子という印象の方もいらっしゃるだろう。2014年以降は今につながる経験をさらに積み上げ、1人での行動範囲が大きく広がった時期であり、私の飛躍を支えてくれた車椅子といえる。もう8年近く使っていて、遠くないうちに“4号機”の作成という話になるだろう。

このように電動車椅子についてふりかえると、様々な思い出が蘇ってきた。父に伝授された“運転技術”と友人達と切磋琢磨して取得した教員免許を持って、社会での役割を求めて様々な場所へ出かけたことや、頸椎の治療を乗り越えて新たな仲間と活動を広げていったことは、私の社会への歩みそのものだ。電動車椅子は、その歩みを可能にしてくれた大切な道具なのである。
もちろん、私も自宅やその周辺では、手動の車椅子をヘルパーや母に押してもらって移動することはある。しかし、仕事相手や団体の仲間にその様子を見せたいとは思わない。その時の私は「オフ」の状態で、電動車椅子を自分で操作している時が「オン」の状態だと思っているからだ。
そして、電動車椅子を操作して出かけられる状態が私の“健康”であり、できるだけ長く保っていきたいことなのである。

以前、あるヘルパーが「電動車椅子も自動車みたいに自動運転で行けるようになったら楽でいいですね」と話しかけてきたことがあったが、私は共感しなかった。私は電動車椅子に「連れて行ってもらっている」わけではない。皆さまが歩いたり走ったりするのと同じように、自分の意志で電動車椅子を動かし目的地に向かっているのだ。
ヘルパーに押してもらわなくても自分の意思で動くことができる電動車椅子は、私と社会をつないでくれるものであり、同時に「社会の中での私」の象徴なのだ。
ケアの利用者の中には、私とは逆に補装具に対して複雑な感情を抱いている人もいるだろう。使っているものに対する思いを通して、その人の人となりや大切にしていることが見えてくることがある。相手のことを知りたいとき、その相手の持ち物について話してみることは、様々な場面で応用できるのではないかと感じている。

加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。

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