私の目指す介護士

角田 友里


私の初めての介護はグループホームへの就職でした。
そこで私に沢山の事を教えて下さったご入居者様(S様)が居ます。
介護職に就いて初日の日、私は何も分からず不安でいっぱいで出勤しました。
ご挨拶すると「いいよ、いいよ、ゆっくりやんな。 何かあったら私に言いなさい」と安心させてくれたご入居者様でした。
夜勤中は真夜中にいつもリビングまで出てきて
「遅くまで仕事して、大丈夫かい?休まなきゃだめだよ」とそっと横のソファーに座り見守ってくれました。
就寝の為居室へ促すと「心配だから」と気にかけてくれてました。
認知症が進み、居室に籠ることが多くなりました。
ある日 S様と男性のご入居者様B様が一緒のベッドで寝ていました。
2人は入居前から知人というわけでもなく、夫婦でも、恋人でもありませんでした。そして2人並んで寝るには狭い為、転落の可能性もあり離れるよう促しました。
S様は初めて私に怒りました。
「私達は夫婦だ、一緒に寝て何が悪いんだ。あんた達は私らをこんな所に閉じ込めて刑務所か」と目つきや表情も別人のように。
認知症の症状である事は分かっていてもショックでした。
だんだんとS様の帰宅願望が強くなっていきました。そんなある日の夜勤中に私の不注意でS様は離設してしまいました。
幸い怪我もなく無事に見つかりましたが私はしばらく引きずりました。人の命を預かるという責任と重さを初めて感じました。
そんな事があった1ヶ月後、私の介助中に転倒され骨折。車椅子生活になってしまいました。
また、私の責任だと落ち込みました。
その後直ぐに末期癌だと分かりました。
余命は3ヶ月でした。
そこで管理者に転倒は私のミスではなく癌の進行による物であり責任を感じなくていいと言われましたが私の中では、他の利用者様のヒヤリハットも含めこうしていれば、ああしていれば防げたかもしれないと介護士としての自信は失っていました。

そんな中、末期癌のS様の今後についての会議が行われ、S様のご家族は延命希望しない、施設で看取りして欲しいとの事で職員一同話し合い、当時はまだ事例のほぼないターミナルケアをする事になりました。
急いで病院と連携を取りマニュアルもない中ADLの急激な低下もあり正直グループホーム(人員不足)の限界も感じていました。
私は、余命と言われている1ヶ月前声もほぼ出なくなったS様の横に座り「私、Sさん転倒させてしまった事ある」と後悔している話や、「全然お喋りしに来れなくてごめんね」となぜかそんな事ばかり言ってしまいました。
するとS様はかすれた声で「私はあんたと居れて幸せだよ」と素敵な笑顔を。それが私と最後に交わした会話でした。
それはS様の本音なのかは分かりません。ですが私はS様の「幸せ」との言葉はとても嬉しく失敗してしまったけど、自信に繋がった日でした。
それから2週間後にS様は夜中亡くなりました。
私は休みだったのですがその報せで直ぐにホームへ行くと職員皆来ていたのです。
職員皆見守っている姿をみてS様はこのホームで暮らし生涯を終えた事は「幸せ」だったと私は思いました。
S様だけでなく、私は今でもご入居者様全員名前も会話も覚えていて、今思えば1人1人しっかり向き合いその方に寄り添ったケアが出来てたのではないかと思います。

私にとって介護はいい事ばかりではありません。精神的にも体力的にも辛い時もあります。ですが 「ありがとう」という言葉が無くても少しでも私がケアして嬉しいという気持ちを持って下されば私にはそれが伝わりやりがいに繋がります。
そんな素敵な仕事は無いな と私は結婚、子育てと期間は空きましたが介護士に戻って来ました。
そして、これからも小さな幸せを沢山届けられる介護士になっていきたいです。

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