「樹(き)のように水のように生きる」

並木 紀子


第11回 2024.2月

今の暮らし

今、私は一人暮らしです。
息子たちは20年も前から、それぞれ職場の近くに住んでいます。
また、難しい病気で酸素吸入機を手放せなかった夫は、一昨年の春に亡くなりました。
晩年にはとても苦しんでいたので、楽になれて良かったなと思う反面、50年以上連れ添った相手が居なくなったことは、
ポッカリと穴が空いたような気持ちです。

これまで夫がしていたキーパーソンの役割は、長男が引き継いでくれました。
役所に提出しなければいけない書類が有る時は、平日に会社を休んで来てくれます。
また、パソコンの困り事などは、三男が解決してくれています。
息子たちは、皆優しくしてくれます。
でも、やっぱり夫が居ないことが寂しくて、一時は悪夢にうなされ続けていました。
もし、私がALSではなく普通の体だったら、孤独に耐えられなかったかも知れません。

しかし、幸いにもALSにかかっているために、いろいろな人が入れ替わり立ち替わり訪ねてくれます。
1番長く一緒に居てくれるのは、何と言ってもヘルパーさんです。
今は3交代で、24時間カバーしてくれているので、たいへん心強いです。

実は、役所に24時間を認めさせるのには、とても苦労しました。
と言うのは、当時夫が同居していたからです。
同居していると言っても既に病気だったので、とても妻の介護なんか出来るわけがありませんでした。
それでも認められなかったので、気管切開をするまでは毎日、30~60分が3回空いていました。
その間は誰も居ないので、いくら体が痛くても、顔に虫が這っていても、ひたすら我慢するしかありません。
ヘルパーさんが来てくれた時は、心底ホッとしたものです。

気管切開をしてからは、本当に困りました。
いつ痰が上がって来て苦しくなるか、分かりません。命の危険さえ感じました。
そこで、昔一緒に組合活動をしていた、旧知の先輩に連絡したところ、すぐに来てくれました。
そして、私と夫の病状を見るなり、役所に訴えに行ってくれました。
でも、家族でも無い友人の訴えには、役人は耳を貸してくれませんでした。
そこで、彼女が支援し続けている、区議会議員の桜井純子さんを家に連れて来てくれました。
桜井さんは、障害者が地域で暮らせることを政策目標に掲げています。
桜井さんは、私が追いつめられていることを、親身になって聞いてくれました。
そして役所にかけ合ってくれたのだと思います。
間もなく役所から、介護時間を増やすという通知が来ました。
おかげで、ヘルパーが24時間常駐してくれるようになり、心配が無くなりました。

この時、「持つべきものは友」ということわざが、身に沁みました。
組合活動を真剣にしていた23才の自分と、そのときに知り合った先輩が、50年も経った今の自分を救ってくれたのです。
そう考えると、とても不思議な気持ちになります。
人生には一つも無駄が無いのだと思いました。

また、区では緊急介護人制度というものを設けています。
これにはたいへん助けられています。
自分が推薦する人でも、ボランティアビューローが紹介する人でも、誰でも緊急介護人に
なれるのです。
月に20時間認められていて、1時間あたり\1,000が区から緊急介護人に支払われます。
また、緊急介護人には何を頼んでも良いので、とても助かっています。

私は、日曜日に1時間ずつ「書きものと読書のページめくり」を、第3土曜日に2時間「お絵描きの手伝い」を頼んでいます。
おかげで、健康だった時の趣味を続けることが出来て、生活の張りあいになっています。

他の14時間は、買いものや掃除などの家事援助をしてもらっています。
これが、とても助かるのです。
と言うのは、介護ヘルパーは、私に直接関係することしかやってはいけない決まりになっているからです。
例えば、私の部屋の整理や掃除はやっても良いけれど、他のところはやれません。
夫が生きていた時は、夫の介護プランに家事援助も含まれていたので、困りませんでした。
しかし、私のプランは身体介助だけでいっぱいになってしまうので、夫が亡くなってから、他のところはホコリだらけ、庭は荒れ放題になってしまいました。
家の掃除と庭掃除と両方では、緊急介護人の時間数がオーバーしてしまうので、家の掃除はシルバー人材センターに頼みました。
10年以上も前から来てくれている人に、緊急介護人になってもらい、庭掃除と買いものをしてもらっています。

さて、私のコラムの巻頭の絵は、この様にして緊急介護人に手伝ってもらいながら、描いたものです。
コラムの後の紹介の中の動画を見ていただくと分かるのですが、このときはもう筆を持てないので、おでこにスポンジをしばりつけ、
スポンジにあけた穴に筆を差して、頭を動かして描いています。
この方法を考案してくれたのが、緊急介護人のKさんです。

手が動かなくなって、
「もう、絵を描くのは無理かなぁ?」
とあきらめかけた時、Kさんは
「手が無くても足で描いてる人が居る。口に筆をくわえて描いてる人も居る。
 描きたい気持ちがあるなら、どこでも動くところを使えばいいんだよ!
 並木さんは頭が動くんだから、頭で描きなさいよ。 道具は、私が作ってあげるから。」
と言ってくれました。
そのおかげで、描き続けることが出来、心に張りあいを持てました。

そして、念願だった絵本を自費出版することが出来ました。
この絵本「北風ぼうや おおあばれ」は、1度絶版になったのですが、出版社の許可を得て、増刷しました。
それは、僻地の小学校に寄贈したかったからです。
しかし、寄贈するにも送料が必要だし、送るための人手も必要です。
どうしようと悩んでいた時、昔のおはなし会の友人たちが手を貸してくれることになりました。





「北風ぼうや応援団」を結成してくれ、QRコードの付いたチラシを印刷して、知り合いに配ってくれました。
その売り上げ金の中から、送料を捻出しようという訳です。
私の紹介の中に、「北風ぼうや おおあばれ」の動画を載せてくださっていますので、ぜひ見てくださいね。
お子さん、お孫さんなど、身近な子どもたちが2才から7才までならピッタリだと思います。
お求めになる場合は、チラシのQRコードで注文できます。

▼絵本「北風ぼうやおおあばれ」注文書
注文フォーム

ところで、曲の「すいか」を載せていただいた時に、私は倉内太さんのことを「元バンドマン」と紹介してしまいました。
その後、見てくださった方から、コメントを頂きました。
「元バンドマンと書かれていましたが、ぼくにとって倉内太は、永遠のロックスターです」と。
たいへん失礼しました。
倉内さんは「元」なんかでは無く、現役のシンガー&ソングライターです!

さて、倉内太さんが新しい歌を作曲してくれました。
そして、ライブで歌ってくれました。
今回は、お仲間も一緒に演奏してくださっています。


では、どうぞ!

▼YouTube動画「ALS」作詞:並木紀子、演奏:倉内太


並木紀子(なみきのりこ)
1951年生まれ。2009年に進行性難病のALSの診断を受け、現在は人工呼吸器をつけ重度訪問介護サービスを24時間利用しながら生活を送っている。
2018年に絵本を自費出版。
https://www.youtube.com/watch?v=q3DQ84quLPM 「体は不自由でも 心は自由です。空を飛びます。風を切って走ります。楽しい歌を歌います。あなたへ 言葉を送ります。のりこさんの 声を聴いてください。」
推薦文より

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