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死をもって生を思う 菅野真由美

死をもって生を思う

菅野真由美

死をもって生を思う。

人生の中では生に直面するより圧倒的に死の直面のほうが多い。

まだ小さすぎて死というものがよくわからなかった祖父母の死。

高校卒業の春、大学も決まり友人と出かけた遊園地で突然のくも膜下出血で倒れ、搬送先の病院で帰らぬ人となった同級生。

朝起きたら冷たく動かなくなっていた娘が大事にしていたハムスター。

妊娠中、お腹の中で心臓が止まってしまった赤ちゃん。

父親の死。

私自身も自分の死を感じたことがある。高熱と激しい嘔吐と下痢で昼間なのに目の前が夕暮れのように暗くなってしまった時。

どの場面も激しい感情に揺すぶられ、深い悲しみや時によっては自分の中に怒りさえ感じた。

死は突然やってきて、その人を奪ってしまう。
事故も病気も突然やってくる。
昨日まで今朝まで見れた笑顔が明日も見られる保証はどこにもない。
子供の頃の祖父母の葬式はお祭りのようだった。近所の人が総出で集まり、たくさんの料理とお酒で大人たちは酔い、山のように積まれたご馳走や饅頭に子供ははしゃいで喜んだ。

あの頃の死は順番通りの自然な摂理。生をうけたものはやがて死が訪れ、生きてきた道を称え、違う道に旅立った故人を盛大に送り出してあげたいというそんな光景だった。

でも順番通りではない死は中々受入れられない。

亡くなった同級生の父親は、葬儀の間ずっと背中が小刻みに震え、顔を上げることはなかった。

検診でお腹の赤ちゃんが死んでいることを告げられた私は家の玄関に入った途端、二歳の長女を抱きしめて声を上げて泣いた。

誰かとの別れは突然訪れる。

でも深い悲しみから救ってくれるのは間違いなく生。
生きている人たち。
また頑張ろうと思えるのは生きている人達が支えてくれるから。

亡くなった同級生の家には、定期的にお父さんに会いに行った。何年か経ち、「みんなを見ていると娘の成長を見ているようで悲しみが癒えた」と言われた。

家の玄関で大声で泣く私に訳も分からず抱きしめられたまま二歳の長女が「ママごめんね」と、ぽつりとつぶやいた。
なぜ「ごめんね」だったのか。
でもその一言で我に返れた。

父が亡くなった時は母が憔悴していた。繋がっている私たち娘が支えになった。一緒にご飯を食べ、隣に布団を敷いて寝た。特別な事は何もしなかったが母の心は少しずつ安定を取り戻した。

ハムスターが冷たくなってしまった朝、見つけた娘は泣きじゃくった。ひとしきり泣いた後「ありがとう」と声をかけていた。

高熱と脱水症状で病院に運ばれる中、朦朧とする意識の中で「私はこのまま死んでしまうのかな」と思った。同時に小さな娘の顔が浮かび「嫌だまだ死ねない」と強く願う自分がいた。3日間の点滴を受けている間、時折目が覚めるたび「私生きてる」と思った。

迎えが近くなると仏の心になると聞いたことがあった。
父が亡くなった時にそんな体験をした。
若いときから亭主関白で好きなことを自由に生きて家族を巻き込み振り回した父。頑固で病状が悪化するなかどんどん我がままになっていく。家族は手をやいた。その父が突然家族や周りの人に感謝の言葉を言い始めた。
「ありがとう」
言われて言葉につまった。そんな事を言わない人だったから。胸が苦しかった。
父は周りにありがとうが伝えられて満足したと思う。

死を意識した時に思うのは日々の生活や周りの人への感謝。
今まで一緒にいてくれたこと、過ごした時間、与えてくれた愛情や教え。
生きることには誰かの力が必要。物理的なこともだけど、精神的な支えはそれを超える。

大好きな人ともこの先一緒にいられる時間には限りがあるんだと改めて気が引き締まる。

人生で辛い時期に生きることも辛くなってしまった時があった。
苦しいのになぜ生きるのか。
でも朝になれば目が覚める。
今日も生きてるってことは、今日も生きろってことなんだなと思った。

だから私は今を精一杯生きたい。悔いのないように日々を過ごしたい。生きているうちに感謝も伝えたい。大好きものには惜しみなく愛をそそぎたい。

そう生きれば、やがておとずれる死は納得して受け入れられるはずだから。



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