「親孝行したいときには親は無し」

明和祥郎



昨年、父の弟である叔父の死に直面しました。
叔父は若いころから貿易船に乗り世界各国を周っており、船を降りた後は多くの資格を持っていたのでその資格を生かし2年位前まで現役で仕事をバリバリやっておりました。 また趣味の写真撮影で旅行をしパソコンを使って写真整理したりと若々しく生き生きと生活しておりました。
私の父は普通のサラリーマンでしたので、とっくに現役を引退し趣味を楽しむ隠居生活を送っていたのですが、叔父は私の父と顔を合わすたびに
「兄貴、仕事せなあかんで」が口癖でした。

しかし、その叔父もある時を境目に急に物忘れや行動が怪しくなり(独身で一人暮らし)一人にしてられなくなってきたのです。
そこで年老いた私の両親が一緒に生活をするわけにもいかず、両親は泣く泣く施設へお世話になることを決めました。
最初のうちはよかったのですが、常に社会のの中で生きてきた人が施設に入り社会との接点も減ってくると一気に弱っていってしまったのです。
私も小さいころからかわいがってもらった叔父ですから、気にはなっていたもののなかなか顔を出すことのできておりませんでした。

そんなある日、母から叔父が食事をとれなくなっているようだとの連絡が入り久々に叔父のところへ行くと、叔父はやせ細り表情も無く私のことが分かっているのかすらもわからない状況でした。
そんな中、叔父の手を握り「ヨシオやで」と声をかけるとギュッと手を力一杯握り返してくれたのです。

俺の事、わかってる。

と思い数分手を握り続け話しかけました。その間何かを言いたそうな目をしていたのですがそれを聞くすべがありませんでした。
こんな風になった叔父を見てショックを受けながらも少し救われた気がしました。
もう少し私に何かできたのではないかと落ち込みました。
「また来るで」と伝えその日は帰りましたが、私がそのタイミングで広島へ行くことになっておりましたので次に会えたのは叔父の葬儀の時でした。
「なんも出来んかったなぁ」と改めて感じさらに落ち込みました。 そんな中ありがたい話ですが私の両親は元気でいてくれていますし痴ほうの方も大きな問題は抱えておりません。本当に本当に感謝です。

昔から「親孝行したいときには親は無し」といいます。

叔父の死は久しく身内の死が最近無かった中、考えるきっかけになりました。
80を超えた両親に、色々助けてはもらってばっかりでこちらからは何も出来ていないことを痛感しました。
子供の事や日々の生活に追われている自分に改めて考える時間を与えてもらったのです。
亡くなってからお墓で手を合わすのでは無く元気でいてくれる間に何か喜んでもらえることをしないと深く深く感じました。
当たり前のことですがなかなか出来ていなかった、「ありがとう」の言葉から始めていきたいと思います。


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