介護を始めたきっかけ

渡部竜熙


初めまして。2022年3月1日より入社させて頂きました、渡部 竜熙(ワタナベ タツキ)と申します。出身は青森です。

本当に私はしょうもない人間でした。仕事をしても続かない、遊びが大好き、面倒な事は後回し。23歳くらいまでふらふらとしていました。

そんな私ですが、祖父母や母は大好きでした。
迷惑をかけても決して私を見放そうとはしませんでした。

私の過去の話になりますが、私は母子家庭で育っています。母は仕事で忙しく、よく妹と一緒に祖父母の家に預けられていました。ですが、そこまで寂しいと思ったことはありませんでした。なぜなら祖父母が私や妹に十分な愛情を注いでくれていたからです。
ですが私は愚か者なので一時期は反抗期になりその愛情も鬱陶しいと感じ、祖父母に強くあたってしまったこともありました。
私が反抗期で家に帰らなくなって、たまに家に帰る時でも優しく迎えてくれていました。
そんな愛情を当たり前に感じていました。

22歳の頃、祖父が死にました。
私はその頃仙台にいました。
急に母親から電話がかかってきました。
「じじ(祖父)が危ないかもしれないから帰ってきて」と…
私は余裕を持っていました。何故なら祖父は鉄拳というゲームに出てくる平八みたいな人で、ガタイもよく、昭和の男!みたいな人だったからです。
なので私は「わかった。帰れたら帰るよ」と言って電話を切りました。
この時に戻れるのであれば、私をぶん殴ってでもすぐに青森に連れて行くと思います。

結局私が実家の青森に帰ったのは次の日の夜でした。
教えられた病室に入ると家族が揃っていました。
祖父はベットに横になり、苦しそうに呼吸をしていました。僕の記憶の中にある祖父ではなく、やせ細っていました。

ベットの側にいた祖母が祖父に向かって
「たっちゃん。帰ってきたよ。来てくれたよ。」
と話しかけましたが、祖父は目を開けることも出来ず、話す事もできない状態でした。
私は唖然としていました。
まさか、そんなはずがないと現実を見つめられずにいました。
そんな私に祖母は
「たっちゃん。手を握って話しかけてあげて。きっとわかるから」と話しました。
私は恐る恐る祖父の手を握り
「じじ(祖父)帰ってきたよ。じじ。」
と話しかけました。
その瞬間、祖父は荒い息遣いだったのをゆっくりと息を吐き、亡くなりました。
きっと、いや絶対、苦しいながらも私を待っていたのでしょう。

その後の事はあまり覚えていません。泣いた記憶もありません。ただ、呆然としていたと思います。

気付いたら葬儀でした。
祖父が、骨になりました。
その時に私は実感しました。
もう会えないのだと。
その瞬間私は号泣していました。
今でもこの文章を書いてて涙が止まりません。

しばらく何もする気が起きませんでした。
後悔しかありませんでした。
何故私はすぐに帰らなかったのだろう、何故私はあんなに愛情を注いでもらったのに恩返しの1つもしなかったのだろうと。

そんな後悔の日々が続いていました。

そんな私を見かねたのか祖母は私に声をかけてくれました。
「たっちゃんは優しい子だから、きっと後悔してるのよね?でも後悔するだけならじじも浮かばれないと思う。なにか、出来ることをやってみたら?」と。

私は今まで人に迷惑ばかりかけてきました。
なので、今度は逆に人を助けるようなことをしたい。
そう思いました。

それが私の介護の世界に足を踏み入れたきっかけとなりました。

楽しい事ばかりではなく、もちろん辛いことも多々ありました。
ですが、今の私なら祖父に顔向けできるのではないでしょうか?

じじ、空の上で見ていますか?
私は今、人の役にたっています。

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