地域生活を支える住宅の確保~前編~

地域生活を支える住宅の確保~前編~

渡邉由美子



 施設や親元ではなく、公的なケアホームでもなく、普通の自分で決めて自分で責任を持って暮らす自立生活がしたいと望んだ時に、最初に突き当たる壁の大きなものとして、電動車椅子(リクライニング、ティルト、足上げ機能など多彩な機能を搭載した大型の車椅子なのです。その機能が無いと、身体に痛みがあるため長時間座っていることが困難なのです。)で住むことができる住宅を年金や手当という決められた金額で見つけるということは、至難の業です。しかし、それが見つからなければ自立生活は夢でしかないという厳しい現実でした。今回は、私が自立生活を始めた当初を振り返って、重度な障がい者が自分の城を確保するまでの軌跡を追ってみたいと思います。

 まず、所得保障の金額の中から家賃をいくらに設定するかということですが、通常総所得の三分の一ぐらいを家賃とみておかなければ生活は成り立たないと言われています。でも、私のように玄関で電動車椅子を降りて生活することが難しい場合は(電動車椅子から降りると四つ這いや正座、胡坐などという座位の姿勢をとることができず、ひたすら寝転がっている状態になってしまい、身動きが全くとれないので、女性介護者一人では引きずって歩くことになってとても負担が大きい身体状況なのです)、住宅探しの条件がさらに厳しくなってしまうのです。そのため、電動車椅子が建物内だけではなく居室の中にも入れ込めて、しかもベッドやトイレ、浴室のすぐそばまで行くために部屋の中でも動けるスペースが必要でした。電動車椅子から自力で立ち上がることは困難なので、身体を車椅子から移乗させる作業には人の力で持ち上げることが必要だったのです。

私と介護者二人でトイレやベッド周り、浴室の中に入り込めるスペースが必要ということになりました。そう考えていくと、総収入の三分の一などという低価格ではそのような譲れない条件の住宅は見つからず、自立生活をその時点で諦めようと何度思ったか分かりませんでした。結局、一人暮らしを初めて最初に十年間住んだ家は家賃九万円、築四十五年以上経っている老朽化の進んだマンションでした。東日本大震災で東京もかなり余震が来たので、壁にひびが入ったり、災害時は本来止まるべきエレベーターが止まらなかったりして、とても怖い思いをしました。私は夜寝ている間も様々な介護が必要です。二十四時間介護者と共にある生活をしています。この家に住んでいては危険だと考え、住宅を探しなおし、今は最初からバリアフリー仕様の家を見つけることができ、今年二十年目の自立生活を継続できています。一軒目の家をどのように工夫して電動車椅子を家の中に入れ、暮らしを成り立たせてきたかを振り返って、記してみようと思います。

広さは2DKで部屋数があったので一人になりたいときは別の部屋で介護者に待機してもらうことも可能でありプライバシーが守られるというメリットはありました。建物そのものの入り口は五センチほどの段差が一段でしたが、スロープ板を置くことで入り込むことができました。今までは不動産屋さんがやっと紹介してくれて内見する家にたどり着いたと思ったら建物そのものにバリアが多すぎて入れないという現実でした。まず不動産屋さんで条件を提示した時点で物件を一軒も紹介してもらえないというのが当たり前の状況の時代です。条件を譲歩しなければ借りられる家が無いのだと悟った私は、畳だらけの家の中は段差だらけだけれども、スペースが広いという理由だけで一軒目の家を借りました。

生活を自分でしてみた経験もない状況で、家を借りてしまったので、洗濯機を置く場所が外であったり、洗濯の排水ホースがきちんと排水口にはまるようになっていなかったりして、洗濯排水がベランダにぶちまけになってしまいました。ベランダが傾斜していたので、家の中に排水が逆流して入ってきてしまうとか、お風呂場が段差だらけで排水のため斜めに傾いていて、シャワーキャリー(シャワーチェアーにキャスターが付いていて、手動車いすのように私を乗せたまま動かすことのできる福祉機器)が水平に止められず、斜めになって身体が倒れてしまいそうになるなどの困難がありました。そのため、自立生活という私の人生にとって大きな夢と希望を叶えるための生活は受難に満ちたスタートとなりました。その困難さを解消するための公的な制度をフル活用して生活を成り立たせてきた歴史があります。

次回はその住宅改修制度について詳しく解説しながら、畳の部屋に電動車椅子とベッドを入れ、身体の移乗が必要な場面では抱えて一人介護者が移していた時代の勢いと若さで乗り切った自立生活を、もう少しひも解いていきたいと思います。まさに、「為せば成る、為さねばならぬ、何事も」の世界で介護者も私もやるしかないと意気込んで生活をしていました。その辺の詳細を書いていこうと思います。お楽しみに。



渡邉由美子
1968年6月13日生まれ 51歳
千葉県習志野市出身
2000年より東京都台東区在住
重度訪問介護のヘルパーをフル活用して地域での一人暮らし19年目を迎える。
現在は、様々な地域で暮らすための自立生活運動と並行して、ユースタイルカレッジでの実技演習を担当している。

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