ぼくがまだ現場の場数がすくなく、見学のような形であるお宅を訪ねたことがあった。そこは僕の地元の高田馬場からは遠いのが大きなネックだった。馬場で電車に乗って二か所で乗り換え、電車に乗る時間だけでほぼ1時間ちょい、さらにバスで20分くらい。交通費も大変だけど、とにかく時間がかかる。片道1時間半以上。ちょっとした旅だ。いくら夜勤といってもなー、と気が重かった。
バスを停留所で降りてさらに見知らぬ町を歩いて15分、やっとそのお宅についた。そのうちを下から見上げた時、何やら浮かない気分が少しだけ晴れた気がした。二階の縦長の窓ガラスから内部が見えて、障子が見えた。気が晴れたというのは、その障子がビリビリとたてに裂けているのが見えたからだ。
見覚えのある爪の跡。直観だった。「このうちは猫がいるな」。たぶん僕の顔はにやけていたと思う。気配だけでこうなる。猫好きとはそんなものだ。ややふさいでた機嫌がいっぺんに治った。
ここのうちは70歳くらいのご夫婦で、旦那さんがほぼ全麻痺。胃ろうで栄養をとっていた。指先がどうにか動きパソコンの操作ができ、会話もやや不自由ながらできた。本好きの知的で優しい人だった。会話が楽しい。大好物、といえば叱られるだろうか。その上、猫までいるのだから。
初めて部屋に入った時黒猫が静かに歓迎してくれた。ひざに顔をスリスリ。僕は音楽好きだが、こういう静かさもいい。人間が猫より好き、という猫がいる。この黒猫はそんな人にやさしく気が使える“特別な”猫だった。
だが、やはり遠すぎるというのは大きなネックだった。残念ながら縁がなかったけど、ここは今でも思いが残っている。旦那さんは、自分の世話はかなりキャリアのある人でないと難しい、と懇切に話してくれた。最初は同行支援のようなもっと易しい仕事のほうが良いよ、といってくれた。この人だったらいいな、と思えたし、縁がなかったのは残念だ。こんなことは珍しい。
猫がもちろん介護に自分の手を貸してくれるわけではないけど、精神的には大いに役にたってると今でも思っている。ただし、すべての猫が、人間にやさしいわけではない。あの黒猫が“特別”だったのだと思う。
2年前の千葉山中にユニークな喫茶店のような店(そうとでもいうしかない。店名は書かない)に友人が連れて行ってくれた時のことを思い出す。そこは人里離れた山中の大きな木造のうちだった。古い農家を改装したものだろうか。人里離れたなんてつい書いてるが、ポツンポツンと人家がある山里といったほうが正しい。
今はやめているけど土地で取れたトマトなどを使って飛び切りのピザを食べさせてくれた。石を組み土をこねて作った手製の窯でゆっくり焼き上げる。窯の下は間伐材らしき薪がくべられ火が燃え盛っている。こんなピザはそりゃ美味しい。地元産のトマトの味が濃い。釜めしも特別注文で受けていたらしいが、これは食べそびれた。
ここに、「桜」という“特別な猫”がいた。
下半身が不随という障害を抱えていた。たぶん捨てられた猫。最初に診断したお医者が素晴らしい人だったようで、安楽死を拒否したと聞いた。それからいろいろあって、この店に来たらしい。
訪問したのは10月の末だったけど山中のことで寒い。室内はだるまストーブが煌々とたかれていた。桜は足を突っ張らかせるような格好で、ヨロヨロストーブのそばにいた。猫は寒いのが苦手で、ストーブのそばがいいらしい。でもコロンとひっくり返りそうで見ていて危なっかしい。
ところが、猫と柴犬の二匹が桜を守っていた。見ていてわかるのだ。三匹が気を使いあっている。これって、見守りというか介護でしょう。僕らがやってる仕事と変わりがない。こんな猫を捨てたりするなど人間として恥ずかしい。
美味しいピザとスパゲティ(もちろんトマトがたっぷり使われている)の後にコーヒーを頂いて満足して店を辞した。出口には猫と犬が門番をしていて、つい二時間前の初対面の時はずいぶんな勢いで吠えられて閉口した。
でもこの時は静かに送ってくれた。桜と介護の連中二匹を触ったから、臭いで安心したのだと思う。
結論。猫も犬だって介護をする。桜は残念ながらなくなっちゃったと聞いた。障害がありながらよく生きたとも思う。
【プロフィール】 1955年、佐賀県唐津市呼子町生まれ。いつのまにか還暦は過ぎ、あのゴジラよりは1歳年下。介護の仕事に就いたきっかけは先年亡くなった親友のデザイナーの勧め。「人助けになるよ」との言葉が効きました。約二十年くらい前に飲み友達だった大家が糖尿病で体が不自由になり、一昨年暮れに亡くなるまでお世話。思い出すとこれが初めての介護体験でした。今はその亡き大家のうちにそのまま住んでいます。元業界新聞記者、現ライター。