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生と死について11  「いつ家に帰れるんや、早いとこ帰りたい」

生と死について11  「いつ家に帰れるんや、早いとこ帰りたい」

井上輝寿



母親から珍しく電話がかかってきた。
「週末休み取れるか?」

少し前から入院している父親の容態が思わしくなく医師から家族に連絡するように言われたとの事だった。
ちょうど週末は私しか入れない案件があり父親の生命力を信じて支援に入った。

後で電話をしたら、「大丈夫、結局大した事なかったみたい。そやから別に見舞いとか来なくてもええよ」と元気な声が返ってきた。
人騒がせやなー等と言いながらしばらく帰って無かった事もあり、翌週1日休みを貰って病院へ行き眠たそうな父親のむくんだ足をマッサージしながらとりとめの無い会話をした。

翌週、父は亡くなった。

当たり前の事だが死も含めて未来の事は誰も分からない。
だから突然の事に戸惑いあれやこれやと想いを巡らせる。私の場合は殆んどが後悔の念だった。今の仕事も中々というかほぼ休みは無いのだが、以前の仕事もサービス業と言う事もありGWも盆も正月も仕事で実家には滅多に帰っておらず、もっと父親と過ごす時間を作れていたら、あの時こうしていればとの想いがその時の私の頭の中でグルグル回っていた。

ただ、少ししてこれは自分を守るための言い訳とも言えるのだろうが、こんな事したな、あんな事あったなとの楽しい記憶もよみがえってきた。

最期に会った時のマッサージが初め力が強く「痛い!」と言われたのが苦い思い出なら、力を緩めた後に言われた「それくらい、気持ちいい」の言葉が良い記憶であるように。

誰かに死が訪れた時、その誰かの周りにいる誰かは色々な事を想い時間を遡る。その遡った記憶の中に1つでも多くの良い事を見つけて今を受け入れ明日を迎えるのだと。

父は入院中ほぼ毎日「いつ家に帰れるんや、早いとこ帰りたい」と母親に言っていた。

今、私たちは概ね在宅の支援に入っている。

そう考えると私達は価値ある仕事をしているとあらためて感じる事ができる。


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