私の駄々っ子はどこいった?

私の駄々っ子はどこいった?

安積宇宙



人はいつから駄々をこねなくなるのでしょうか。
わたしは、遠くに住んでいる母と電話をすると、八つ当たりをしたくなることがあります。
それは、彼女個人に対しての思いではなく、日々のいろいろな思いが、彼女に安心しているから、出てくるのだと思います。特に大したことでもないことでも、トゲトゲした反応をしてしまうのです。そうすることは避けたいなと思い、なぜそんな態度を取るのか考えてみました。その時、わたしの彼女に対する態度は、子供の駄々っ子と似ているなと思ったのです。

子供たちは、駄々をこねます。それを、多くの周りの大人は、「泣くのをやめなさい」とか、「そんなに駄々こねたら置いてくよ」とか、「何も変わらないんだからやめなさい」とか、いろんなことを言って、止めようとします。

子供の時、なんで駄々をこねてるか向き合ってもらったことってあるでしょうか。小さな時は、大人のように言葉で、自分の考えや思いを表現することができません。表面上では、「ご飯食べたくない!」だったとしても、その奥に、「今日、保育園で嫌なことがあった」という思いが隠れているかもしれないのです。自分が何を感じているのか、それすら分からずに、気持ちを表現する言葉を持たないもどかしさは、言い表しようのないものがあります。

駄々をこねるのは、その子の中にある悲しい気持ちや怒る気持ちを、外に出すツールなのだと思います。 だけど、駄々をこねることを、大人たちはよくないことだと思っています。そして、年齢を重ねるにつれて、自分から駄々をこねなくなるように思います。「しっかりしなくちゃ」「もう大きくなったんだから」って。

たしかに、駄々をこねなくても、言葉で自分の思いを表現できるようになっていきます。簡単に表現できないことでも、他の方法でストレスの発散の仕方を覚えたりして、駄々をこねなくても、いられるようになります。そして、さらに年齢を重ねれば、散歩に行ったり、人に話したりとか、いろんなストレス発散方法だってあるけれど、お酒やタバコなど、何かの物質に頼ることも多いように思います。

そして、そんなのだけでは、表現できない思いが、怒りとして出てくる人もいます。不当なことや嫌なことがあることに対して、それはおかしいって怒るのは大切だけれど、そうではなく、表現できないいろんな思いが、怒りという形で爆発してしまうのです。そんな時、そんな風になる前に、子供の時のように、「ヤダヤダヤダーっ」って言いながら、床の上でジタバタしたりして、それで解消できたのなら、何倍も平和だな、と思います。

日々、理不尽なことや疲れることもあります。そして、大人になったら、駄々をこねてはいけなくなります。でも、表現できない思いを自分の中で消化して、イライラしたりして周りにぶつけないようにするのも、疲れちゃいます。もちろん、周りにぶつけるのはよくないことなので、そうしろっていうわけでは全くないけれど、たまには子供の頃のように、駄々っ子してみるっていうのもいいのではないかなと思いました。

人がいるところでやる必要はありません。想像すると、それだけでちょっと、「頭大丈夫かな?」って思って、笑えちゃうかもしれないけど、一人になれるお部屋がある人は、一人駄々っ子、試してみてほしいです。笑

駄々っ子がよくないというのは、いつでもしっかりしていなければいけないという大人社会の抑圧です。子供のことを止める前に、なんで駄々っ子がいけないのか、一緒に考えてみませんか。


【略歴】
1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。
2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。


訪問介護サービス
新規のご依頼はこちら

介護スタッフ
求人応募はこちら

コラム