ギフト

村上慎太郎


はじめまして。西東京4月入社の村上慎太郎と申します。よろしくお願いいたします。

生まれは熊本で高校卒業するまでは兵庫県加古川市で育ちました。京都の大学を卒業後、家族で熊本にUターンし、通所リハで約8年ほど勤務しておりました。

退職後娘の出産を機に熊本市内から南阿蘇村へ移住し、「MALI MALAI」というジャズ喫茶兼タイ料理レストランを開業いたしました(現在妻が運営しています。車椅子でお入り頂けます)。

4月現在西東京にて勤務中ですが、6月から岐阜、来年1月には福岡で事業所の立ち上げ業務に携わった後、2023年7月に熊本でゼロから事業所を立ち上げる予定です。

介護の仕事に就こうと考えたきっかけは、障害を抱えて生きることについて知りたかったからです。

私の母がポリオによる軽度身体障害者だったこともあり、母が感じている不自由さを間近で見ながら私も育ちました。

とはいえ、最初から母のスティグマに向き合えてきたわけではありません。特に若い頃は自分と母の人生は別のものであって、母が抱える課題は母自身が解決すべきだし、自分は自分の人生を歩んでいきたいと考えていました。

そうして母が抱える困難さを否認し、無関心を装いながら逃げていたい気持ちがありました。しかし母との関係にいささか歪なものがあることを自覚してからは、一度それに向き合う必要があると感じて、おもに対話を通じて母の理解を深めていきました。

その作業はある面では母が物心ついた頃にポリオに罹り、不条理にも身体障害者となっていつも感じてきたであろう不自由さや困難さについて想像することでもありました。身体の痛みや移動の不自由さだけではなく、仕事や社会参加への障壁、真っ直ぐ歩けないことへの周囲の視線や過剰な気遣い、家庭を持てばシャドウワークと母親というアイデンティティからの離脱の困難さ、女性らしさを楽しむことへの抵抗感、自身への引け目さから積極的に行動することの難しさなどについて少しずつ理解できるようになりました。

私が介護の仕事を始めた年に母は病気で亡くなったのですが、母がホスピスで綴ったエンディングノートには「あなたにバトンを渡したよ」と記されていました。それが具体的に何を意味しているのか、ノートにはっきり書かれていたわけではなかったのですが、私は「人に寛容でありなさい」という意味だと解釈しています。それは生前母が大事にし、事あるごとに口にしていた言葉でしたし、また私自身気づいた時にはすでに内面化していて、ある意味ではとらわれてしまっていた言葉だったからです。

私はその寛容という態度の延長線上にノーマライゼーションやダイバシティという理想が開かれていくと考えています。また寛容であることは、不完全さと無秩序を受け入れること、脆く容易に壊されること、ワクワクしないなどそういったネガティブな側面があり、でもだからこそ価値があると信じています。

一隅を照す、これ則ち国宝なり -最澄-

私は母からたくさんのギフトをもらいました。そのギフトを手に、まずは自分ができることを精一杯取り組んでいきたいと考えています。

そして当社は臨床だけではなく、介護難民・介護離職・社会的地位向上などの諸問題にもソーシャルビジネスを通じて解決を図っています。とてつもなく大きなチャレンジだと思います。私も現状に甘んじるのではなく、変化を求め楽しみ、チャレンジしていこうと思います。

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