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介護という仕事で学んだこと  「あたりまえ」なんてものはないんじゃないか

介護という仕事で学んだこと  「あたりまえ」なんてものはないんじゃないか

勝又 七実



高校の修学旅行前の事前学習で、明石家さんまや上戸彩などが出演している「さとうきび畑の唄」という沖縄戦争のドラマを見たり、実際に沖縄に行った際に「ひめゆりの塔」などの沖縄戦の資料館に行きました。資料館を見学しているときに感じたのは、今の自分と同じくらいの歳の子やもっと下の子達が銃を持ち戦場へ駆り出され、負傷した人たちの手当や死んでいく人たちを目の前で見ていた…。時代というものはこんなにも違うのかと。その時代にもし自分が生きていたとしたら、今のこの歳まで生きれていただろうかと。

なぜ、こんなことを冒頭で話したかというと、特別養護老人ホームで働いていた時、色々な方と関わっていく中で、そういった時代を感じさせられることが多々あったからです。例えば、私たちが「好きな食べ物はなんですか?」「嫌いな食べ物はなんですか?」と聞かれたとき、ポンっと何かしら出てきますよね。しかし、今の後期高齢者ぐらいの人たちの中には「戦時中で食べられるものなんて限られていたから、好きとか嫌いとか考えたこともない。」このような答えが返ってきました。1人や2人ではないです。似たような話ですと、私たちにとってはほんの一口程度しか残っていないように思えても、食べ物が貴重だった時代を生きてきた人はこう言うんです。「こんなにたくさん残しちゃってごめんなさい。」。一度使ったティッシュをとっておいて繰り返し使う方もいました。これは紙が貴重だった時の名残の行為なのではないかと、そう思う時もありました。必ずしもそうであるとは限らないと思いますが、私たちから見たその人のちょっと変わった行動というものは、その人が生きてきた時代背景やその中での育ってきた環境等とつながる部分があるのではないかと考えられるようになりました。

相手を理解するうえで大切なことは相手を知ること、知ろうとすることだと私は思っています。

施設であっても訪問であっても、基本情報から情報を得たり、アセスメントをして情報を得ていくと思います。これは身体の状態だけではなくその人自身を知るためですよね。その人を知らずして、その人らしい生活をサポートしていくのは難しいですよね。在宅での支援であってもそこは変わらないと思います。

人の発言や行動には、病気の有無に限らず何かしらの過去が関係していると学びました。育った時代、環境、性格や経験は人それぞれですよね。介護という仕事は1人1人と深く関わっていける仕事だと思います。今の自分、これからの自分はきっと多くの人と関わっていくことで作られていくんだなと思いました。

ガラッと話は変わりますが、次は土屋で働いてから学んだことです。
学んだというよりは知ったことですかね。

介護の仕事についてもすぐ辞めてしまうのはなぜか…。
施設で働いていた時は、ヘルパーが良かれと思ってやったことに対して利用者さんから暴力や罵声で返されることが原因で精神的につらくなり辞めてしまうのではないかと思っていました。もちろんその他にも理由はあると思いますが。しかし、その利用者さんからの暴力や罵声は果たして本心なんでしょうか?認知症や何か病気などの影響でうまく表現が出来ていないだけの可能性もありますよね。不快だと思ったときに手を出してしまう、どこか痛いのをうまく伝えられず大きな声を出してしまうなど、その人が起こす行動には何か原因がある可能性があると思います。なぜその人は手を出したのだろう、何をしたときに大きな声を出しているのか、などその人の起こす行動や、発言に疑問を持ち考えていくことが出来ず、暴力をふるわれた、罵声を浴びせられたなどその事実にしか目を向けないから精神的につらくなり辞めていく。
つまり、そのヘルパー自身に原因があるという考えでした。

しかし、土屋で在宅支援をしていく中で上がってくる報告や、実際に現場に入った時の経験、利用者さんと家族の関係などを見ていく中で、支援に入るヘルパーへの理解はあまりないんだなと、思うことがありました。

例は出せませんが、いくら家族であっても仕事で入るヘルパーであっても「やってもらっている」ということには変わりないわけで、それがその人にとって「あたりまえ」になってしまった時、そこにあった温かいものは失われてしまうのではないか、そう思いました。

サービスを必要としている人に出来るだけ寄り添った支援をしていきたいと思っていますが、それを実現させていくためには、一緒に働いているヘルパーさんの事もよく考えていかないといけないということをここ(土屋)で学びました。

介護に限らず、私たちの日常で起こることでさえ「あたりまえ」というものは存在しないと思っています。親は子を育てることが「あたりまえ」だったかもしれませんが、今の時代は親が子を殺すこと、子が親を殺すこともありえてしまう時代です。正直、戦国時代とかでも血縁者同士で暗殺とか、そんなことをいつだったか授業で聞いた気がします。そう考えるとやはり「あたりまえ」なんてものはないんじゃないかと思いませんか?
「あたりまえ」と思わなければ大事にしようとするのではないでしょうか。
自分自身の生活でも、そういった気持でいればちょっとしたことでも嬉しいと思えたりするのではないかとひそかに思っています。

最後になりますが…、
こういった考え方、気付きが全て介護という仕事で学び得たことです。