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コロナ禍で問われる死のプロセス

コロナ禍で問われる死のプロセス

吉川 美津子



タレントの志村けんさんの新型コロナウイルス感染による死は衝撃的だった。兄の知之さんが遺骨を抱え、次のように取材に応じた。
「遺骨はまだ温かいです。火葬の前に顔を見られなかったのは残念ですが、新型コロナウイルスの感染防止のためにはやむを得ないと思います。ひつぎに向かって『長い間おつかれさま。よくがんばったね』と声をかけました」と語る姿が涙を誘った。

岡江久美子さんの死も「コロナ死」の残酷さを物語ったように思う。夫の大和田獏さん、娘の大和田美帆さんは臨終に立ち会えず、火葬にも立ち会えない。それぞれ別の場所で岡江久美子さんの旅立ちに手を合わせていたという。
さらに輪をかけたのが、遺骨の引き渡しのシーンであった。さすがにこれは葬儀関係者も驚いたことだろう。遺骨を手渡しではなく玄関先の台に置き、それを大和田獏さんが引き取るという形。距離を保った形で引き渡しをするにしても、玄関扉内側に台を置くなど、他に手立てはなかったのだろうか。あの光景を画面を通して見た視聴者の多くがこう思ったことだろう。「コロナでは死にたくない」と。それだけインパクトのある映像だった。

私は終活・葬送系の社会福祉士として、また現役の介護職として、「生」と「死」に携わる機会が多い。介護の現場では、コロナ禍であろうがなかろうが、死と向き合うシーンが日常的にあるし、葬儀の現場では死者や遺族と対峙することになる。かれこれ約25年、「死」の現場が常に自分のすぐ側にあった。
業務の中では、終活セミナー、エンディングノートのセミナー等で講師として呼ばれることも多いのだが、参加者の声には違和感を感じることは少なくない。
こういったセミナー等の参加者の多くが口にするのは次のようなフレーズだ。
「迷惑をかけて死にたくない」と。さらに、「PPK(ピンピンコロリ)で逝くことができたら理想」と。
中には「誰にも看取られずにひっそりと逝きたい」「友人・知人には事後報告でかまわない」という人もいる。
介護にしても医療にしても、終末期についても、自分の希望を伝えておくことはできても、思い描いた通りになるとは限らない。それを頭では理解しているのだけれど、現実的に自身の環境を客観的に考えている人が少ないことに違和感を感じていたのかもしれない。

しかし、「コロナ禍」で元気だった(と思われる)人が、まるで事故にでも遭ったかのように亡くなるという訃報が相次いだ。
新型コロナ感染症が原因で亡くなった方は、非透明過の納体袋に入れた状態で棺に納められる。火葬場の使用については時間が限られ、家族の立ち会いは数名のみ。火葬場によっては家族の立ち会いさえもできないところもある。

周囲は「一目会いたかった」「通夜も葬儀・告別式もできないなんて」と二人称の「コロナ死」に対して無念さをにじませる。一人称の自分の死に対しても「コロナだけでは嫌だ」と口を揃えるようになった。「葬儀は不要。誰にも知らせずひっそりと逝きたい」といった人でも、「さすがに誰にも看取られずひとりで旅立つのはつらい」と言うようになった。

エリザベス・キュープラ・ロスは、世界的なベストセラー「死ぬ瞬間」の中で死の受容プロセスには「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑うつ」「受容」の5段階あると記している。これらの段階を踏むことがあたかも理想的であると捉えてしまうことには少々無理があり、批判も多いのだが、段階を踏むことで逝く側も送る側も心構えができるとできないとでは大きく違ってくる。コロナ死が「無念」と称される理由は、その段階を経ることなく、心構えもできないまま永遠の別れになってしまうことにある。

新型コロナ関連でない方の終末期の環境もコロナ以前とは違っている。病院や介護施設への面会が制限されているため、たとえ看取りの段階に入った状態であっても、通常と同じ体制で家族がかかわるのは難しくなっているのではないだろうか。

葬儀についても、セレモニーは自粛ムードが続いている。3月に愛媛県松山市で営まれた通夜・葬儀の参列者と関係者、合わせて男女5人が集団感染したというニュースを機に、葬儀への参列を控える動きが加速した。
多くの人が火葬のみ、もしくは家族葬という形で儀式は簡単に済ませている。本来ならば、友人・知人が多く集まるであろう現役世代の葬儀も、ひっそりと行われているのが現状だ。

戦後、死を迎える現場の多くが病院となり、日常の中から死の影が遠のいてしまった。葬儀はタイムスケジュールが示され、短時間で終わるように設計されるようになった。世の中の移り変わりが早く、かつてのように1年もの間、服喪期間を受け入れる社会ではなくなっている。
しかし、「コロナ死」が身近に迫った今、否応なく一人称の死、二人称の死について考えざるを得なくなった人が増えたのではないだろうか。

最近、コロナでの関連死はもちろん、そうでない場合も葬儀を縮小せざるを得なかった家族から「どうやって弔ったら良いか」「自分たちには何ができるか」という声が聞かれるようになった。故人や家族の友人・知人からは「どうやって弔意を伝えたら良いか」と戸惑う声も聞かれる。そういった声に営利を目的とせず、あらゆる選択肢の中から答えられる人は、私が知る限りそう多くはない。ここを線として「生」と「死」を結び付けたいと、社会福祉士としてまた介護職として活動を始めたのだが、残念ながら「生」と「死」の間には大きな隔たりがあり、制度も業界も分断されているのが実情だ。
「コロナ禍」で遺された人に対しては何ができるのだろうか。医療・福祉と葬儀・供養業界が互いにそれぞれの領域への関心を持つだけでも、連携に向けての大きな前進になるに違いない、と感じている。



【プロフィール】
吉川 美津子(きっかわみつこ)
東京都出身。葬儀・お墓・終活コンサルタント。アルック代表。
社会福祉士、ファイナンシャルプランニング技能士2級
(一般社団法人)供養コンシェルジュ協会 理事
(一般社団法人)葬送儀礼マナー普及協会 理事
(一般社団法人)全国環境マネジメント協会 顧問
上智社会福祉専門学校 介護福祉科 非常勤講師
駿台トラベル&ホテル専門学校 フューネラルマネージメントコース 非常勤講師

大学卒業後はツアーコンダクターとして国内外を旅し、その後シンガポール駐在。帰国後は「地球の歩き方」ほか、旅行情報誌、旅行業界誌の取材・執筆に携わっていました。 1990年代半ばに葬儀業界へ転身し、葬儀専門人材派遣会社を経て、大手葬儀社に勤務。続いて仏壇・墓石販売店に勤務。その後、専門学校にて葬祭ビジネス関連学科の運営メンバーとして活動しはじめた頃から、現場を離れて人材育成や情報発信、コンサルティング業務などに軸をおいて活動しています。

介護・福祉の業界へ足を踏み入れたのは、2015年。当時は終活セミナーの全盛期で、全国の自治体、業界団体等で開催される「終活セミナー」に招かれて講師をしたり、終活系の番組に出演する機会が多かったのですが、、「葬儀」「お墓」「供養」の事前準備、また「相続」ばかりを「終活」として捉えられるのに違和感を感じていました。
今考えると、「生き方」「活き方」「逝き方」のうち、「逝き方」しかお伝えできないもどかしさがあったのだと思います。

「行き方」「活き方」、つまり暮らしをサポートする福祉の分野を学びたいと、大学に再度入学し、福祉の分野の勉強スタート、後に社会福祉士の国家資格を取得しました。
また現場では、重度訪問介護や特別養護老人ホームで介護職としても活動しています。
約25年、私の周りには「死」が日常的にありました。しかし、医療・福祉と葬送・供養の間には、業界・制度ともに大きな狭間があります。その狭間・隙間を埋めたいと模索中です。

新聞、雑誌、テレビなどでのメディア出演歴は年間約100本。
レインボータウンFM「吉川美津子のくらサポラジオ」毎週日曜日 18:20~19:00放送中