『誕生日なんてなければいいのに』

わたしの




「誕生日なんてなければいいのに」と冬治(フユジ)は思った。

先週の土曜日、同じクラスの山咲くんの誕生日会があってその会に参加してから冬治はソワソワと落ち着かなくなってしまった。

その会には冬治を入れて5年2組の男子が3名、女子が2名、そして隣のクラスから山咲くんの幼なじみが1名参加していた。

きれいな新築の住宅のリビングの真ん中には長いローテーブルが二つあって、その上に唐揚げやちらし寿司、プライドポテト、スパゲッティーを揚げたもの(初めて見た)、ハンバーグ、その他お菓子がたくさん並べられていた。

テーブルを囲んでみんなで座ると、キッチンからオレンジジュースやウーロン茶を持った山咲くんのお母さんがあらわれて、

「みんなお手伝いしてくれる?」と、言った。

サイドボードのコップを人数分数えて運び、何人かでジュースやお茶を注いで行き渡らせるように順々に回していった。

そんな作業をみんながせっせとしている間、冬治は山咲くんのお母さんを見ていた。

山咲くんのお母さんはスラッと身長が高いのが特徴だったが、それよりも気になったのは活気があるところだった。

あれやってこれやってと子どもたちにハキハキと指示をし、快活に笑っている。なんというか存在自体に彩度があるのだ。ただ朗らかに明るく笑っている、それだけなのだが冬治にとってはとても異様なものだった。

異様で怖かった。

そのお母さんがローソクの刺さったいちごのショートケーキを運んできた。

「せーの」でハッピーバースデーの歌を歌い、歌い終わる時に山咲くんがローソクの炎を吹き消した。昼間なのでそんなに目立ちはしないが吹き消した瞬間に煙が揺らめき昇ったのが見えた。

そしてクラッカーが鳴って「おめでとう!」という声が行き交った。

一瞬の出来事だった。

拍手が鳴っていた。時が止まっていたのが解除されたように冬治ははっと我に返った。

「おめでとう」と呟くように言った。

山咲くんはありがとうと答えて、すぐに他の友だちとの会話に入っていった。お母さんも山咲くんの後ろから肩に手を置いて友だちとの会話に参加してまた快活に笑っていた。

山咲くんもお母さんも二人はすぐそこにいるのだけど、すごい遠いところにいるように冬治には感じた。

幸せな風景の中に自分だけ入っていけない。

周りの友だちもすぐそこにいるのだけど、ものすごい速さで自分一人が遠くに飛ばされて離れていくような気がした。

そこから先も冬治が経験したことがないことが次から次へと起こった。

テーブルの上の料理をみんなで食べた。

プレゼントが運ばれてきて、山咲くんがそれを開封した。プレゼントの中身はベイブレードのおもちゃで遊技場付の豪華なものだった。

おろしたてのゲームでひとしきり遊んでから、飽きるとテレビゲームをした。女の子たちはお母さんと一緒にビーズのネックレスを作って喜んでいた。

一番最後にショートケーキを人数分に切り分けて紅茶と一緒に出してくれた。

「信じられないな」と冬治はしみじみと感じた。

家から離れる時間を作れたのは奇跡に近かった。

ちょうど巡り合わせがよくて誕生会に参加することができ、そのおかげで楽しい経験ができた。

こんな楽しいことが自分にも訪れるとは思ってもみなかったのでちょっと驚きだった。

戸惑いすら覚えた。罪悪感にも近いものかもしれない。

料理もおいしかったし、ケーキもとてもおいしかった。大きなプレゼントも、クラッカーも、ジュースも全部羨ましかった。

羨ましさを感じている自分に気付いた冬治は途端に憂鬱になって、目の前で起こった全てが自分とは何も関係ないし違う世界のものだと言い聞かせた。そしてできればすぐにでも忘れたかった。

忘れないと後になって苦しくなるだろうことは容易に想像できた。

冬治がケーキを食べ終える頃、山咲くんのお母さんが隣に来て「おいしい?」と話しかけてきた。

冬治は不安になった。

笑顔の穏やかさが怖かった。

こんなに笑っているこの人も時には鬼になるのだろうか。

今は朗らかだけど椅子を投げたり皿を叩き付けて割ったり部屋を滅茶苦茶にすることがあるのだろうか。

何を言ったら、何をしたらこの人はそうなるのだろうか、と考えながら黙ってじっと様子を伺っていた。冬治の目の怯えを感じ取ったのか、山咲くんのお母さんも少し困ったような表情になって小さく頷いてから、

「冬治くんのお母さんは元気?」と聞いた。

「あまり……」と冬治は答えた。

「そう、最近はガーデニングクラブにも顔を出さないから……」

「家で寝てることが多いんです」

冬治はそう言って暗い気持ちになった。

やっぱり早く家に帰りたいと思った。家の中が今どうなっているのか離れていると心配でしょうがない。心配して落ち着かない状態でいるよりは帰って現状を目の当たりにした方がましだ。どんな過酷な状況でも予想通りであることを確認できた方が、心が平穏だということを一体何人の人が共感してくれるだろうか。

やっぱり修羅場だぜ、そう確認できることの安心。

この安心は辛い安心だということくらい子どもの冬治にも分かっていた。しかし、安心は安心に違いない。冬治にとっては細く頼りないけれども大切な「安心」なのだった。

心が千切れるようになっているよりはましなのだ。

「因果やな~」

先日、国語の授業でこの言葉を習った。ある物語の中に出てくる台詞で、それを抜き出して先生が熟語の意味を解説してくれた。

【因果】いん‐が

[名]

1 原因と結果。また、その関係。

2 仏教用語。前に行った善悪の行為が、それに対応した結果となって現れるとする考え。特に、前世あるいは過去の悪業 (あくごう) の報いとして現在の不幸があるとする考え。「親の因果が子に報い」

[形動][文][ナリ]宿命的に不幸な状態におかれているさま。不運なさま。

国語の授業で習ってから、クラスでこの台詞をことあるごとに言うのが流行っていた。給食で嫌いなものが出てきたときも「因果やな~」、宿題をたくさん出されたときも「因果やな~」と、みんな面白がって使っていた。

冬治もこの言葉を気に入って心の中でこっそり使うことが多かった。この台詞を言うとなんか少しだけ救われたようにすっとするから不思議だった。

「因果やな~」という言葉は冬治の心にピタリとフィットするのだった。

国語の先生は教科書のお話を要約して「人生はマラソン大会や」と言った。

それぞれが荷物を背負って走るマラソンだ。

中身のまったく入っていない軽いリュックを背負っている人もいれば、5キロの荷物を背負っている人もいる。10キロを背負っている人もいるし、中には300キロもの大荷物を背負っている人もいる。1トン背負っている人だっている。

「それぞれ条件が違う。それでも、よーいドン!や。因果やな~」

スポーツマンシップに則って言えばそれは不平等であり、すぐさまルール改訂をして荷物の重さをみんな一律にすればよいのだが、どうして人生のマラソンは不平等なの?

どうしてそれぞれ重さが違うの?

どうして人は背負う荷物を選べずに生まれてくるの?

「因果やな~」

冬治もその言葉を心の中で何度も繰り返した。

誕生日会が終わって山咲くんの家を後にし、帰りながら途中の空き地で遊ぶことになった。

鬼ごっこをしているときに友だちの1人が、テンションが上がりすぎて激しく転んだ。右膝を地面に打ち付けてぱっくりと切れてしまい大量の出血があった。

転んだ本人は勿論、その出血を目の当たりにした女の子は大泣き。一緒に遊んでいた仲間もパニックになりウロウロし、中には何かよく分からない言葉を叫び出したり、怒っている奴もいた。血は溢れるように出た。女の子はしゃがみこんで大騒ぎだった。

そんな中、冬治だけが冷静だった。

一切動揺しなかった。一ミリも揺れず、大騒ぎする連中を静かな目で見つめていた。

脈拍の乱れもなかった。

このくらいの状況は騒ぐようなことではない。

普段から激しく揺さぶられているのに慣れている冬治にとっては泣くようなことでもないし、感情を乱すような出来事でもなんでもないのだ。

冬治はカバンからハンカチを取り出すと転んだ子の傷に当てて「しっかり押さえててね」と言った。

「大丈夫だよ」転んだ子やその周りで大騒ぎしている子を落ち着かせるために呼び掛けてから、近くの家の呼び鈴を押した。

そして出てきてくれたおばさんに事情を話し、電話を貸してもらった。

怪我した子が家に電話を掛けると、15分後にその子のお母さんが迎えにきた。

これから病院にそのまま行くと言って自転車の後部座席に乗せられてその子は帰って行った。

後部座席から振り返って「因果やな~」とその子は最後に心弱く言った。

それでその日はおひらきとなった。

一人になって冬治は誕生日会で経験したことをもう一度思い返しながら家に向かった。

夕暮れが近付いていた。

冷えた大気に雑木林の匂いが混じっていた。

東の空にはすでに青黒い闇があった。

冬治の家は坂の上にあり、学校から帰るときも坂を登って帰らなければならなかった。

自転車の場合は立ちこぎをして長い坂をずっと登っていかなければならなかった。

中腹で坂は二股に別れ一方は鉄工所へ続く道になり、一方は冬治の家のある住宅街に続いていた。

いつもこの二股に差し掛かると冬治は気合いを入れ直す。家がどんな状態にあろうと自分がブレさえしなければなんとかなる、と言い聞かせる。

「大丈夫、大丈夫」

さっき大騒ぎする女の子たちを落ち着かせるために投げ掛けたように、自分の胸を擦って「大丈夫、大丈夫」となだめた。

青い瓦屋根とクリーム色の壁の冬治の家が見えてきた。足取りが重いのはいつものことだった。

歩きながら、ここから引き返して家には帰らないという選択肢もあるはずだと思いながらも、そんなことはできずに扉を開けて家の玄関で小さな声で「ただいま」と言っているのもいつものことだった。

暗い廊下から反応はなかった。

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