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大いなる雑談者・伊集院光のラジオを聴こう

大いなる雑談者・伊集院光のラジオを聴こう

間傳介



人間暇が染みついてじっと為るのが癖になりますと、大概血の廻りが滞りますので自然と鬱々として参ります。

そうすると自分の脳の中にある記憶のうち、一時的な鬱と同調する引き出しを開けやすくなるものでして、「ああ、〇〇という嫌なことがあったな」「〇〇というタチなんだよな俺は、どうせ…」などと考え始めてしまうもので、随分厄介な感じがしますが、これをご自身の性格または本質と捉えるのはちょっと筋が違うんではないかと思うんでありまして。

脳というのは随分不思議な機関で、体に支持を与える出力と体から情報を受ける入力の二つの口があるわけで、「行為が人を作る」という言葉を残した先人がおりましたが、私達は出力の方がどうも読んで字の如く「意識的に」やっておりますので「出力こそ主なんではないか」と思ってしまいがちなのではないでしょうか。
しかしもう一方の入力の方はどうでしょうか。こちらが意識するかしないか関係なく起こっているような気がして、これは受け身なのだ、変えられないのだと思っていませんか?例えば嫌な上司がいるとか、むかつく奴がいるとか、飯がまずいとか、そういうことが仮にあったとしてもそれで自分の人生を固めてしまうのは勿体無いわけです。
残酷なことを言うと、自分でそのくさくさした心を持つという選択をしているのに過ぎないわけです。
もしくはこんな不幸な私は誰かきっと救ってくれるわ(ハート)というおとぎ話思考です。どうですか?馬鹿馬鹿しいでしょう。

怒ってもらって結構です。怒ったら大声でも出して川沿いでも全力疾走すればいくらかスッキリします。イライラの元は大概血行不良です。

これから私の言うことを実践しても、嫌なことは、100%嫌でなくなるわけではありません。しかしながら怒って暴れるよりより楽しくスッキリする方法をこれから教えましょう。簡単です。

それは、ラジオ番組『伊集院光と深夜の馬鹿力』を聴く。ということです。

伊集院光の凄さは、幾つもあって、私から見ればどこを取っても凄いしかっこいいのですが、一つ例を出すと、このコロナ騒ぎの中で、「コロナだからある面白さ」を探して居られたそうです。

そこで伊集院さんが紹介しておられたニュースがこちら

アハハ。脱帽です。

私も割と大体笑っている人間ですが、昨今のCOVID19、いわゆる一つの新型コロナ騒ぎにいつのまにか飲まれておりまして、結構神経症っぽくなっていた(なるべき場面は無論あります)わけですが、凝り固まっていたんですね。この話を聞いた時から少しづつ力が抜けてきたように思います。

このニュースは、インターネットを閲覧できる全ての人に公開されていたわけで、大手のサイトの記事で、なおかつコロナ関連記事です。

この記事を伊集院光氏のラジオを聴くまで、普段ニュースサイトなんか見ない私が、目を皿のようにしてやれGoogleニュースだ、やれYahooニュースだと見ていたにも関わらず、このニュースは見つけられなかった。もしかしたら目に入ったこともあったかもしれないのにクリックはしなかったわけです。
つまり私の「笑いの入力」はこの騒ぎの中無意識に閉じられていたわけです。

自分で自分や自分の置かれている状況を分析するのは1番難しいことなのだろうとは思いますが、それを可能にする一つの強いきっかけは「笑い」であることは確かです。笑ってしまえば少し余裕が生まれます。車を運転する時にずっとガチガチにハンドルを握っているとカーブひとつ優雅に曲がれません。力は適切に過不足なくかけられてあればそれでいいではありませんか。

伊集院光氏は朝のラジオも月木の帯で担当しておりますが、夜の方が不謹慎だし下品でとても面白いです。このご時世ですからお忙しい方もあると思います。でも少し耳が暇な時、radiko(パソコンやスマートフォンでラジオが聴けるサービス)のタイムフリー(放送したラジオ番組を一週間分遡って聴けるサービス)で『伊集院光の深夜の馬鹿力』聴いてみてください。

ヤッホー


間傳介 プロフィール

1981年、鹿児島県産まれ。
宇都宮大学教育学部国語科教育八年満期退学
「東京に行け」との高校の恩師の言葉を独自解釈し北関東に進学。
修辞学、哲学、文学、芸術、音楽、サブカルチャー等乱学。
効率、生産性ばかり喧伝する文化の痩せた世の中になった2008年ごろ、気づいた頃には相対的に無頼派となっており、覚悟し流れ流れて福祉業界に。
知的障害者支援、重度訪問介護、などに従事。
「能(よ)く生きる」ことを追求している。
友愛学園成人部職場会会長