この会社に辿り着くまで

山下 文美


私は大学を卒業後十数年飲食業をしてきました。
料理がもともと好きで、美味しいと喜んで貰えることが好きでした。
最初は賄いがあるから食費が浮いて助かる、などと安易な気持ちで就職しましたが、拘束時間が長く休みも少なく、体力も精神力も必要でした。
もともと作り笑いが下手で、本当に楽しいことでないと笑えない奴でした。人当たりは悪くない方でしたが、入社したての頃は愛想が無いなど言われ、もう接客なんてしたくない、と思ったこともありました。
私は飽き性だし、まだ若かった私は、辞めたいと思う時期がありました。その時の彼氏が、ひとつのことをやり続けた方が良いと言われ、続けていました。

やがて責任者になり、店を任される立場にして頂き、大変さや楽しさを学びました。最初はビールの注ぎ方も知らなかった子が、今や自分の右腕で、スタッフに教えたりしてくれている。
そんな成長を見るのも楽しかったし、卒業していなくなってしまうのを寂しく思ったり。
仕事ができるようになると、もっと効率良くできないか考えるようになります。
スタッフの中には手が遅い子もいる。その子が引け目を感じないように、次はあれをして、こうなるから、と先々頭を使って考えること、またできる子ができない子を見下したりしないように、毎日考えたり、葛藤していました。
今までこんなに人と向き合って考えたり、伝えたりしたことがなかったかもしれない。これは短い期間だと分からなかったことだと思いました。
慣れてくれば家事の延長みたいな物で、言うなれば弛みや緩みが出てきます。店には自分より上はいなくて、誰も自分に逆らわない、楽して稼いでるような気分でした。
刺激が欲しい私は、飲食業よりも楽しい仕事があるんじゃないだろうか、なんて考えるようになりました。

営業職は歩合だけど、うまくいけば給料は天井無しだ、なんて野望を抱きながら転職しました。
基本給は少ないので、短期間で結果を出さなければいけない、接客業が長かったとはいえ、知らないお宅にピンポンするには度胸がいる。
遠慮がちな自分は、営業なんて絶対無理だ、なんて思っていましたが、できるような気がして、アポなんて簡単に取れる、と思う時もあれば、一人では何もできないんだな、とネガティブになる時もあったり、マインドを鍛えられました。
結局短期間で辞めてしまって、次は何をしようかと考えた時に、父親は病気で、母親が診てくれている。私はそんな親にずっと仕送りをしてます。
給料を落とすわけにはいかない。母親だけになったら、自分が診ないといけなくなる。
知識なんてないのに診れるのだろうか、大事な人もいて、その人が歳をとった時に自分は診てあげれるのだろうか、そんなことを考える歳になってきました。
介護なんて自分には絶対無理だ。そんな時に目に止まったのが、この会社でした。無資格でも雇ってもらえる、給料も良さそうだ、介護とITってどういう意味なんだろう、なんて思いながら応募させて頂きました。

まず思ったのが、手厚いと感じたことです。業種は未経験でも、今まで経験してきたことを汲み取って頂き、無駄ではなかったと感じさせてもらいました。
他にも選択肢があった中で、ずっと飲食業していたら良かったかもしれない、営業でもっといれば稼げていたかもしれない、でもその時自分が考えて出した答えなので、私は後悔しないように今までもしてきました。きっとやり直せたとしてもその道を選んだと思うからです。
某有名アニメの「一は全、全は一」が好きな言葉で、一つは全てに繋がっていて、全てが一つなのだと、今まで関わった人にもきっと意味があって、この会社に辿り着いたんだと思います。

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