『生と死について』考えることは必要か?

井上 健司

私は現在、重度訪問介護の仕事をしています。
私が支援する利用者様は例外なく身体機能が日を追う毎に低下しているように感じています。
怪我などと違い、完治して元気になる事はありません。
日々の支援も手順が変わり、難易度が上がっています。
それでも、お互いにつまらない会話で笑ったり時には怒られたりしています。
中には死ぬ事について話される利用者様もいます。
話を聞き受け止める事は出来ます。
ですが、肯定も否定もしません。
利用者様は生きているから…

起きていない事象に対して意味付けは出来ません。
起きた事象に対してのみ意味付けをします。
自分の物差しで決定していくので十人十色です。
私は、海外でテロ事件があり数千人が死んだとしても悲しくありません。
私の姉が入院したと聞くと、悲しくはないですがとても心配になります。
他人がどう思うかはわかりません。
冷たい人間だと思われてもいいい…。

生の始まりは妊娠発覚からでしょうか?
予告もなく突然告げられます。
平常心ではいられません。
急ぐ必要もないのに急いで帰宅しました。
ドッキリでした。
ガッカリした自分と、ホッとした自分がいました。
なので、主観的にみた生とは何気ない日常だけしか体験したことがありません。
同じく死も突然訪れます。
ですが、平常心でした。
装っていたのもありますが、死をどこかで否定していました。
その時の事はよく覚えていません。
人生初の喪失でしたのでバタバタしていて気付いたら終わっていました。

生も死も、事前に予定を立てていた事ではありません。
これから先も、誰かの死を予定に入れる事は多分ありません。
考えるだけ時間の無駄です。

生の予定はありません。
生きている今の事ですから!
嬉しいのも悲しいのも生きているからです。



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