1人暮らしを始めて人の出入りが激しくなり、自分の精神のバランスの保ち方が分からなくなって引きこもり街道を爆走していたころ、とある人からメールが来た。「元気ですか?大学を無事に卒業したようですね。おめでとう。時間があれば僕が会長をしている研究会に来ませんか?久しぶりに顔が見たいです。」と書かれていたと思う。
送ってくれた方は、男性なのでこんなに柔らかい文章ではないと思う。それにバリッバリの関西弁だった。でも、まぁ内容はこんな感じ。その方は、私が高校のときにお世話になった人だ。私の高校は、特別支援学校。障害のある人が通う学校という説明が1番分かりやすいだろうか。
そのため、先生だけでなく様々な専門職が在籍している。連絡をくれた方も、先生ではない。しかし、私にとっては恩師だ。なんか照れくさいが…。そんな方からのお誘いなので何も考えず行ってみることにした。
行ってみると、とても楽しかった。その頃の私は、健常者と同じようにフルタイムで働くということに固執していたし、体調を崩してそれができなくなっていた自分の身体がとても情けなく、惨めに感じていた。それを変えてくれたのが、その研究会だった。
様々な業種の人がいて、みんな笑っていた。その空気感に私は、惹かれた。私が救われたのは、自己紹介で「1人暮らしをしています。」と言うと拍手されたり、「すごーい。」と言われたのだ。とても驚いた。1人暮らしが褒められるようなことではないと思っていたからだ。しかし、褒めてもらえたことで肩の力がすーっと抜け、「働く」ということに固執しなくなった。そうすると、徐々に仕事が増えていくのだから、不思議なものだ。
そんな風に神様からのプレゼント的に「居場所」を得た私だったが、月1回の研究会に行くことが習慣化した頃、奇跡が起こる。きっかけは、私が自己紹介の量を少し増やしたこと。増やした文言がこちら。「歴史オタクです。いつか、再建されていないお城に行ってみたいです。」と。そうすると、「へぇー。」と言われて笑ってもらえるのだ。
そんなことを1年間ぐらい続けていたら、研究会の会員の方が「そんなに言うんなら、連れて行ってあげようよ。」と言ってくださった。私は、「へっ?」と、まさに呆然としてしまい、彦根城企画の当日まで信用できずにいた。そして、決行されるとそれは夢の時間と化した。木の匂い・光の入り方、井伊家の居城とあって私の妄想スイッチは、フルスロットルだった。私は、調子に乗ってその2年後には姫路城をみんなで攻め落とした。
今年の1月、私はゆかりの地にあるお城を攻める計画を立てる。その城とは、高知城。高知は母の故郷だ。
高知城には中学生の頃、母と行ったことがある。お城に続く道を母が息を切らしながら、私の車いすを押して上っていった。天守が私の前に現れたころ、母が息も絶え絶えに「ごめん。」と言った。私は、そのときに高知城の天守の方からに「車いすでは、来れないよ。」と声がした気がした。幻聴だけどね。それほど、打ちひしがれたのだと思う。
しかし、その13年後、最強メンバーでリベンジを果たす。準備は、大変だったが、最高に楽しかった。高知での縁もでき、楽に登城できるようにと福祉用具もお借りすることができた。高知城の管理事務所も、今までのどこの管理事務所よりも寛容でとても驚いた。最も1番感謝しなければならないのは、たくさんの人が泊りや日帰りで集まってくれたことだろう。
そして、笑顔を絶やさずにいてくれたことだ。楽しかった。といってくれたことだ。私はというと、お城に登る前日に坂本龍馬の銅像がある桂浜にも行くことができたし、高知城内では、山内一豊・山内容堂の品々があって、とてもホクホクした。「容堂は、ここでお酒飲んでたのかな?」とか妄想していた。容堂は、大酒飲みといわれている。「武市半平太とここで会ってたのかな?龍馬は、下士だから城内に入れない可能性が高いな。」とかね。妄想が、止まらない。楽しかったな。
最後に言っておきたいことがある。
私に人望があるから、こんなにたくさんの人が集まってくれたわけではない。集まってくれた人が優しいからだ。だから、知ってるだけの「ありがとう。」を込められるだけの感謝を込めて。この高知城企画に関わってくれた全ての人へ。ありがとうございました。
【プロフィール】 鶴﨑彩乃(つるさきあやの) 障害名:脳性麻痺(先天性=生まれつき)、神戸学院大学 総合リハビリテーション学部社会リハビリテーション学科 卒業生、精神保健福祉士・社会福祉士 資格所有、大阪で一人暮らし 6年目、趣味 お城めぐり (目標 現存十二城制覇)