異邦人

伊藤一孝



私が20代を過ごした会社は、ある情報出版企業である。1990年代初頭、政界を巻き込み社会を騒がせることになった「あの会社」といえば、40代以上の方は察していただけることだろう。その会社はマスコミでは「特異な会社」として語られることが多かった。何か「特異」なのか。興味のある向きは、書店に今でも多く並んでいる諸作をご覧いただければと思うが、OBとして今、感じることは「何故、あんなに仕事が楽しかったのか」ということだ。もちろん私自身が若かったこともある。しかし、私が在籍していた数十年前ですら千人単位で社員はいた。そこに集う多くの人が、私同様、心から仕事を楽しんでいた。「あの会社の社員は、何故そんなに楽しそうに仕事に邁進するのか」。当時から今に至るまで、特異なカルチャーの謎を解き明かそうと、様々なビジネス本が出版されている。

「何故、あんなに仕事が楽しかったのか」。その問いに対する私自身の皮膚感覚をもとにした答えは「評価のリベラルさ」だ。

1983年、私はその会社にアルバイトとして入社した。それまで新聞配達をしながらバンド活動と称した「ただれた日々」を過ごしていた私であるが、さすがに「これではまずい」と思っていた。初めて新橋にある本社ビルに行った日のことは、今でも覚えている。吹き抜けのロビーに受付があるが、そこで「面接に来ました」と告げると「伊藤様、お待ちしておりました」と受付嬢が可憐な声で返してくる。その言葉は、今でこそ受付時の「ビジネス用語」であることは理解できるが、何の社会性も身に着けていなかった当時の私は、素直に「えっ、待っていてくれたの?」と頓珍漢な衝撃を感じていた。その程度の社会性しか持ち合わせていなかったのだ。入社後に「アルバイトとはいえ、ウチは100人に一人採るかどうかだよ」と言われたが、よくこんな程度の人間を採用したと思う。しかも当時から「ロン毛」だったし。

話を戻そう。「評価のリベラルさ」だ。いや、決して難しい仕組みなどない。アルバイトだろうが、社員だろうが、男性だろうが女性だろうが、全ての従業員を同じ指標で評価していたというだけのことだ。その最たるものが「ランキング」だ。営業職であれば日々売上ランキングが発表される。制作職などでも月次に作品の評価に点数が付き、点数に応じたランキングが発表される……。かように、どんな職であっても常に己の「位置」がわかる仕組みができている。この「仕組み」の構造は、いわば「ゲーム」だ。とはいえ、このゲームを楽しめない人もいる。そういう人は、早々に去っていく。もちろん、このランキングには「アルバイト」「社員」「男性」「女性」「入社年次」といった「差」などない。ランキングという同じ土俵で闘い合うことができるルールになっている。

そしてランキング上位者には、うれしいボーナスが待っている。もちろんそれは金品などではない。「スター」になれるということだ。「スター」。それは売上ばかりではなく、むしろ斬新な提案内容やクライアントをいかに巻き込んだのかといったプロセスが評価される。こうした「スター」は、社内報や部内報といったステージで、自分の仕事を好きなだけ発言することができるという「仕組み」だ。また、年間ランキングおける各ステージでのトップは、MVPとして全社員を前に「赤ブレザー」が授与される。これもまた「ゲーム」を楽しむ者にとって、嬉しい演出だった。

常に相対評価のなかに身を置くことは、つらい。営業職にとって「ノルマ」という言葉をポジティブに受け止める人は少ないだろう。だが、それを「ゲーム」として「仕掛け」たことに、「あの会社」の強さがあると思っている。

私がESLの門を叩いた際、面接官であった高浜・吉岡両氏は、私がかつて在籍していた会社について「あの会社のようにしたい」と私に言った。急発展を遂げている会社の現状に対して「膨張ではなく成長させるにはどうしたらいいのかという危機感」を抱いているのだなと、私は受け止めた。「社風(カルチャー)という仕組みを作る」。それが私自身の勝手なミッションとなり、そのことでこの人たちの後押しをしようと決めた瞬間だった。

今の自分に何ができているのか。入社半年が過ぎた現在、正直何もできていない。何も貢献できてなどいない。「新人」の枠すら超えられていない。介護業界に長く身を置く人からすれば、私のような「異邦人」は、さぞかし扱いにくいことだろう。だがいつの日か、「異邦人」だからこそ仕掛けられる未来があるのではないかと夢想している。「あの会社」のカルチャーの一つである「ゲーム性」を仕掛け定着できる日が来ることを願っている。何故か。理由は単純。「めちゃめちゃ楽しい」からだ。


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