私は即興音楽で人生が豊かになりました

間傳介


即興音楽といったところで、殆ど社会的には認知が低いことを大学時代からもう15年ほど続けている私は、こう断言します。

「即興音楽をやると人格が豊かになります!!」と。

即興と言えば「アドリブ」でしょうか。お芝居の世界だと“台本にない付け加え”なんて意味だったりします。
音楽でもギターソロがスタジオ盤とライブだと違ったりします。気分で変えたんでしょう。
その気分で弾くフレーズのことをアドリブと言いますが。私は楽曲を作ること自体に意味をあまり見出せず、今日の感じというのをやる!それだけ!というのがやってて1番やりがいがあります。本当に何にも決めません。決めてもすぐ捨てます。守るのは安全と制限時間ぐらいです。

以下即興音楽から学んだ人生訓を書き出します。

◯他人とセッションするとき、他人の音が気に食わないからとイライラしない。

セッションしてる時、イチイチ他人の音でイライラしててもしょうがないです。観客にはカンケーありません。何なら全ての音は単なる音です。イライラしている自分にこそ問題があります。相手は次に何か展開を考えていて、その前振りかもしれません観客からしたらいいコントラストになっているかもしれません。理解できないものを人間の脳は嫌うように「進化」しました。

◯失敗を失敗と認めない

あれ?ミスった!と思っても、何回かその“ミス”を繰り返すとフレーズになります。それは味です。失敗ではなくなります。 「今日あんまりよくない演奏だったな」と思った演奏でも、録音を後で聴くと結構サマになっていたりします。逆もあります。自分に常に「客観性が備わっている」というのは思い上がりかもなという境地に立てます。実際客観視をしても自分が見ています。他人から何か言われても、他人の言葉を自分が解釈しています。

◯他人の評価を気にしてもしょうがない&獣になる、自分のために自分の中で狂え

何か風の音楽というのをやっているならともかく、即興、フリーミュージックというのはすがる場所がありません。自分の無自覚に使っていた手癖、引き出しを、見つけ次第捨てます。私は音と音の“間(ま)”に心血を注ぎます。必要性を感じたら2分ぐらい平気で音を出さずにじっとしています。また、同じく馬鹿みたいにデカイ音も出します。脳内に変な物質が出るのでしょう。時間が消えてしまう感覚になります。時間が消えるぐらいですからとっくにモラルとかそういうのはすぐすっ飛ぶので、ないです。最高です。その瞬間が脳内にあれば、他人がどう言おうと「そうっすね」で済んでしまいます。突き詰めれば突き詰めるほど自分の満足の純度は上がっていきます。面白いことにこんな身勝手な演奏をしていても、一人二人、必ずわざわざお褒めの言葉を下さる方がいらっしゃいます。

こんなところでしょうか。

さて、私の頭の中では、暇があると頭の中では未知の、謎の音楽が鳴っています。小さいころ滑り台のてっぺんからジャンプして、平均台に頭をぶつけて歪んだからかもしれません。それを鳴らしたいのかもしれませんが、それを鳴らすことにいったいどんな意味があるというのでしょう。無いのかもしれない。無いでしょう。

ただ言えることは、これをやったら私は肚が据わってきた。ということでしょう。はっきり言って生きてて面白いです。




間傳介 プロフィール

1981年、鹿児島県産まれ。
宇都宮大学教育学部国語科教育八年満期退学
「東京に行け」との高校の恩師の言葉を独自解釈し北関東に進学。
修辞学、哲学、文学、芸術、音楽、サブカルチャー等乱学。
効率、生産性ばかり喧伝する文化の痩せた世の中になった2008年ごろ、気づいた頃には相対的に無頼派となっており、覚悟し流れ流れて福祉業界に。
知的障害者支援、重度訪問介護、などに従事。
「能(よ)く生きる」ことを追求している。
友愛学園成人部職場会会長

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